こきっつぁんのミュージックダイアリー 「6月2日・猪木、KO負けの日」
音楽でつづる日記、ミュージックダイアリー。今日、6月2日の日記には、どんな曲がおさめられているんでしょうか?それでは、ページをめくってみましょう。今から27年前の1983(昭和58)年の6月2日は、蔵前国技館で行われた第1回IWGP決勝戦で、アントニオ猪木がハルク・ホーガンにKO負けした日です!ハルク・ホーガン(21分27秒・KO勝ち)アントニオ猪木まさか「猪木の、猪木による、猪木の為」のIWGPが、こんな形でフィナーレを迎えようとは、夢にも思っていなかった…。シリーズ(巡業)の途中で、長州力とアニマル浜口が新日本プロレスを離脱して、フリー宣言をするという大ハプニングをどうにか乗り越え、決勝戦は猪木とホーガンの顔合わせとなった、第1回IWGP。まあ、順当といえば順当の対戦カードだと、当時は感じましたね。そして、猪木が卍固めを決めて、ギブアップ勝ちで優勝を決めるだろうとも。あの頃の新日本プロレスは、金曜日に「ワールドプロレスリング」を放送する為、シリーズの最終戦(ビッグマッチ)は、前日の木曜日に行われることが多かった。生放送だと放送時間内に収まらない可能性があるので、ちゃんと試合をフルに見せることが出来る録画中継を優先した形でした。なので、ファンは金曜日の夕方に東京スポーツを購入して、いち早く試合結果を知った上で、夜の「ワールドプロレスリング」を楽しんでました。1983年6月2日は、木曜日でした。当時、テレビ朝日では、木曜日の夜10時(だったと思う)から、「TVスタジアム」というスポーツバラエティー番組を生放送していました。司会は「モーニングショー」でお馴染みの溝口泰男さん。コメンテーターは、当時、テレ朝専属の野球評論家だった野村克也さん。どこのテレビ局より、いち早くプロ野球の結果(ハイライト)を伝えるのが売りで、そのほか、今の「GETスポーツ」のような特集もあったので、私は大好きで毎週欠かさず見てました。そんな「TVスタジアム」を見ようと、いつものようにチャンネルを合わせたら、まず番組の初めに飛び込んできたのが、騒然となっている蔵前国技館からの、古館伊知郎アナウンサー(当時)の生々しいリポートでした。「猪木がKOされて、危険な状態で病院に運ばれた」と言ってるのを聞いて、私は「これは猪木はヤバイな(死んだな)」と直感しました。そう思わせるぐらいの緊迫感はありました。次第にどこのテレビ局のニュースでも、「猪木、病院送り」のニュースが報道され、当時、夫人であった倍賞美津子さんが病院にかけつける映像を放送したりして、ますます、これはヤバイなと感じて、うっすら涙ぐんだものでした(笑)。それからは猪木の容態が気になって気になって、テレビとラジオをフル動員して、些細な情報でも聞き漏らさないようにしていたのですが、とりあえず無事という情報が流れて、不思議と急速に、マスコミの報道がトーンダウンしていったのを覚えてますね。次の日の金曜日の「ワールドプロレスリング」では、猪木・ホーガン戦を全部放送した後、実況の古館アナと解説の山本小鉄さんが、VTR室で試合のクライマックスのVTRを見ながら、猪木がどういう状況でどういうダメージを受けたのかというのを解説し、猪木の現在の容態を報告して終わるという内容でした。27年経った今、試合のVTRを見ると、結果は分かっているのに非常に面白いですね。落日の闘魂と、昇り調子の超人との格差が見て取れるし、猪木が大分無理をして、ホーガンの技を受けていることも分かります。試合の中盤で見せた、猪木の豪快なバックドロップ。アックスボンバーを受けてもカウント2.5で跳ね返す、猪木の掟破り。お返しに、延髄斬りを受けても素知らぬ顔でファイトを続けるホーガン。猪木にかなりのダメージを与えた、ホーガンのバックドロップ。そして…。「アックスボンバー、三つ又の槍」が炸裂して…。この試合を裁いていたレフェリーのミスター高橋の著書によると、これは猪木の自作自演の一人芝居だと言い切ってますね。猪木勝利の筋書きが出来ていたにもかかわらず、それじゃ面白くないし、世間を振り向かせることが出来ないと思った猪木が、全くの独断で、あのKO劇を演じたと。私の見方として、それは半分当たっていて、半分当たってないように感じます。リング下に転落して失神した猪木がセコンドの手でリングに戻された時に、舌をべロンと出したまま横たわってましたが、当時の週刊ファイトの井上義啓編集長も指摘していた通り、わざとあんなに舌を長く出せるのか、しかもその状態で長時間維持できるのか、甚だ疑問です。それについてはミスター高橋は著書では触れていない。いくら猪木でも、演技で「舌ベロリ」は、ずっとやっていられない。だから、あの時点では、本当にKOされていたと思います。脳震盪という形で意識を失っていたのでしょう。その後、控え室に運ばれて、意識を回復したはいいけど、大騒ぎした割りには比較的に症状が軽かったことと、大事な試合で簡単にKOされたことの「テレ隠し」で、「実はあれは片八百長」的なニュアンスの言葉を、猪木は吐いたんじゃないでしょうか。私はそう思いますね。仮に猪木の頭の中に、自分の負けのプランがあったとしても、エプロンでアックスボンバーを食らってのリングアウト負けが関の山で、(実は、東京体育館で、ハンセンが猪木からNWF王座を奪取した時と同じ試合展開)本当に失神してしまったのは想定外だったんじゃないですか。もちろん、真相は猪木しか分からない…。まあ結局、坂口征二副社長は人間不信に陥り、新間寿営業部長はレスラー猪木は好きでも、猪木寛至が嫌いになり、新日本プロレスの選手は動揺し、クーデター騒動にまで発展するんですから、このIWGP決勝戦での猪木のKO負けは、あまりにも失うモノが多かったと言えるでしょう。第2回のIWGPも、この敗戦の影がつきまとっていたし。得をしたのは、IWGP制覇という箔を付けて、アメリカのスーパースターに昇り詰めたハルク・ホーガンだけだったりして。ホーガンのひとり勝ちか…。お送りする曲は、“蘇ったネプチューン”ハルク・ホーガンの新日本時代のテーマ曲、「宇宙空母ギャラクティカのテーマ」です。