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怒涛の数日が過ぎ、今日はホッと一息という感じだ 理事会準備、理事会、追いコン、母校監督の慰労会、トラブルの処理。。。他、ほとんど眠れず過ごした。 たぶん、一年の内で一番ハードな数日だった。 でもものすごくイイ毎日だったと思う。 理事会もほぼ順調に終了し、追いコンでは卒業するナヘとあずさから『こんな素晴らしい人達と出会えたのは自分の人生で初めてだった。この4年間は生涯忘れる事のない思い出だ』と言ってもらえた。 母校監督(たまの友人)の辞任に伴う慰労会では司会をさせてもらい、多くの教え子が出席してくれた 巨人の大立のメッセージを預かり、私からのメッセージもたまと一緒に司会のサポートをしてくれた後輩ツネちゃんに読んでもらうようにしていたのに。。。会場に来ている後輩OBが『本人が居るんだからたまさんが読んでくださいよ~~~~!!!』とヤジってきて(選手時代はヤジ禁止だったのによぉ===3)『絶対泣くから嫌じゃ!』って逃げてるのに『泣いてもいいから~~!』と言われ渋々司会台に戻り。。。 めちゃくちゃ泣きながら読んだ。 シ~~~~~ンとした会場に私の涙ながらのコメントが流れ、スゴイ雰囲気になった。 何人かは聞きながら泣いていた。 あとで色んな後輩から『めちゃくちゃ良かった。感動しました』って声をかけられた。 翌日、良かった!!って電話をくれた後輩もいた。 でも私は監督本人が各期の教え子からの挨拶の時に、26年間の一人一人の事をコメントした事にスゴイって思った。 『この学年は~~~~で、ここに来てくれてる△△は××高校の出身で□□のピッチャーで、隣の**はリーグの時::で…』という風に思い出を語っていた。 愛情の賜だよね。 凄く良い会ができて、嬉しかったし。。。何か本当に色んな意味でスゴイって思った。 誰でもが経験する事の出来ない事。 だけど、そのために自分の人生を犠牲にしてきた26年の指導者生活だったと思う。 二次会があって参加する予定だったけど、前日のマネージャーのトラブル解消のためにそのままあずさや聡子、エリちゃんや陽平と合流して某大学まで1時間半ほど車を走らせた そして選手を前にしてこれまた涙ながらに訴えた。 『あなた達の為に一生懸命頑張ってる子を大事にして!!!』という意味のことを言った。 泣いていた選手もいた。。。そしてたぶん理解してもらえた。 アヤちゃんにも選手から心配して電話も入ってきたらしく、感謝のメールが届いていた。 その夜、そのチームの主務・メイ(男・ニックネーム)から電話が入った。 『僕が間に入ってちゃんとできなくて申し訳ありませんでした。たまさんにわざわざ遠い所まで来ていただいて。。。本当にありがとうございました。』と言ってくれた。 メイと電話で話すのは初めてだったけど、『たまさんと話すのは楽しい。また電話していいですか?』って言われた。 『たまさんの事を《あの人はタダモノじゃない!》っていつも部員に言ってたんですけど、今日、皆もそう思ったみたいです』と笑っていた。 その日の事と関係ない事も話して、気付いたら2時間経っていた。。。おやすみを言って電話を切ったけど、ぐったりしている身体と裏腹に心は凄く充実していた。 でもさすがに数日ほぼ睡眠時間2時間程度で動いていた私は翌朝から昼頃まで声も出ない状態だった。 ううう…歳には勝てん!!! ここ数日は球場ではなかったけど、すごくいい仕事ができたような気がする。 自己満足かも知れないけど…ね。 それでもイイ また頑張れるもん お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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