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先日、高校時代の友人と久しぶりに電話で話した時のこと
懐かしい話に花咲かせてしまった。 高校時代のある日の放課後のこと 舞台は首里高校のとある教室だった。 私 「授業終わったら那覇に行こう~♪」 友 「なんで~?ここも那覇じゃないの??」 私 (動揺しながら) 「じゃあ、牧志とかに行く時はなんて言うの?」 友 「‘街’行こう・・じゃない?」 首里高校は今も昔も変わらず那覇市にあり その時の私は 自分自身が那覇市に居ることを充分認識していたはず。 それにもかかわらず「那覇に行こう」 という矛盾した表現を無意識に使っていた。 そのとき周りにいた数名のクラスメイトに 同じ様な質問をしてみると・・・ 不思議なことに首里地域の中学校出身の数名は 私と同じように「那覇に行こう」 を無意識に使っていた。 小、中学校の頃、当時の遊び場といえば MAXYやフェスティバルといった牧志周辺だった (注:パレットくもじははまだできていない・・・) 私や周りの友人たちは全員・・とは言わないが たいていの人はその辺りを‘那覇’と呼んでいた。 首里中学校内で休み時間に交わされる 『那覇に行こう』 という会話がなんの違和感もなく成立していたのだ。 あれこれ原因を考えてはみたが、どれも決め手に欠けるため 結局、真相はわからないままだ。 あの日以来、「那覇に行こう」 は使わなくなったが、この一件は私にとって 高校生活最大のカルチャーショックとなった。 それにしても、21世紀となった現在でも 首里地域の小、中学生は牧志周辺を 『那覇』 と表現するのだろうか・・・。 ![]() ゆーるぬ国際通り。 真ん中辺りんかいないがやぁ。 沖映通りんかいあたいる交差点ぬとぅくまやいびーん。 11時めーやしが にーにー・ねーねーたぁやまんどーたんどー!! 訳:夜の国際通り。 真ん中辺りになるのかな。 沖映通りにあたる交差点の所です。 11時前だけど 兄さん・姉さん達いっぱいいたよー!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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