テーマ:◆◇◆天体観測◆◇◆(789)
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昨日のブログで、棚田の事故から派生した
星見人たちのマナーとは何ぞや? という天文リフレクションズさんの記事を紹介させていただきました。 それを見て、 自分は必ずヘッドライトは消さないけど、ほら間違ってないよ と自信を深めた方、たくさんいるんじゃないでしょうか。 とはいえ物事を見るには視点は一つではありませんよね? いろんな立場から、いろんな方向から、全く違った見方があるはずです。 たとえば、車で乗り入れた先に、地面に寝転がって星を見ていた人がいて それに気づかず轢いてしまった、 なんてとき、どっちが悪いの?? そりゃあ、車 対 人 だったら絶対車の方が悪いでしょう。 そうでしょうか?? 車はその先に起こりうることを予測した上で、周囲の安全に配慮して 走行する義務があります。 では、路上に人が寝ている、ということを想定しなければならないのでしょうか? 実は、車道は本来、人が進入してよい場所ではない、というのが 法律上の規定のようです。 よって、路上に人が寝ていることまで想定して車を走らせなければならない とまでは言いきれないのだそうです。 昼間ならばまだ視認性が良いので、 それを見つけられなかった車の過失は大きいのだそうですが 歩行者をはねた時のような10対0にはならないようですよ。 夜間であれば視認性が悪いので、見つけられなかったとしても不注意とは断定できず 寝転がっていた人と車の過失の割合は双方5分5分 との判決が下る例が多いんだそうです。 あくまでこれは車道での判例なので 駐車場ではどうか、はわかりません。 しかし、駐車場も本来車が乗り入れる場所、と判断されたならば 同じように5分5分の責任割合になる可能性だってあるわけです。 (もちろんヘッドライトを点灯した上でのことですが) 寝転がって星を見ているところに車で入ってくるなんて という視点もあるでしょうけれど そんな車が走るところに寝転がっているなんて という視点もあるでしょう。 つまり、私が思ったことは そんなこと一つとっても、いろんな視点があるものだ、 ということです。 その違う意見があった時に、その相手に対してそれは間違っている! という議論をするのではなく、 自分の見方以外には、どういう見方があるのか?を知ることこそが 重要ではないでしょうか? 私たちは言葉を交わすことができます。 言葉を交わすことでいろんな視点を知ることができます。 知ったことの良悪を判断するために言葉を交わすのではなく。 その相手の立場に立った見方もできるようになるためです。 世の中が絶対善と絶対悪だけで構成されているなら話は簡単ですが 実際はそうではないことの方が多いと思いますから はっきりと明文化することも一朝一夕にできることではありません。 絶対悪とされていることも、時代や、属する集団によっては、 流動的でもあります。 何百年か後、あの時代は化石燃料を燃やして地球環境を破壊させていた 極悪の時代だった、と言われないとも限りませんよ?? たくさんの視点から物事を見ることができるようになってこそ 周囲への思いやり・気配りが生まれ、調和が生まれるのではないか? 暗闇に夜明けが来る、 と思う次第なのです。 あ、いや、星見る人の集団でそんなことを言うと 夜明けは星見の終わりじゃないか!って思われるかもしれないか・・・(*≧m≦*) 一つのことにも、いろんな感じ方があるんです。 だから、 「俺の言うことを聞いてくれ」 と思うけど、それは必ずしも正しいとは限らないから 「俺を含め誰の言うことも聞」かず、 いや、鵜呑みにせず、いろんな意見の中から調和を見つけ出してゆきたい そのための「議論」を、語弊があるなら「情報収集」を、 始める機会になるのでは、と愚考する次第であります。 もちろん私のその視点もたくさんある視点の一つに過ぎませんが。 よお、そこの若えの 俺の話を聞いてくれ 俺を含め誰の 言うことも聞くなよ わたくし、この歌詞、大好きです。 すごく意味深じゃないですか! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年05月10日 16時05分44秒
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