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2007/03/16(金)07:01

日本という国

読書(77)

2月に日本に滞在している時に読み始め、その内容の濃さのために一時棚上げしてアメリカに持ってきた本が何冊かある。 そのうちの一冊がこれ↓である。  「人間を幸福にしない日本というシステム」 カレル・ウォフレン著 (毎日新聞社)↓ この本については2月の日記でもちょっと触れたが、今これを改めて読み始めている。 あの時、どなたかがコメントをくれたのだが、「著者は、本当に外国人なのか、と思ってしまいますよね」というコメントだったと思うが、その時は、このコメントを間違って解釈してしまったような気がする。 このコメントは疑問形ではなく、感嘆形の「なのか!?」だったんですね。 今読んでいると、本当に、この方のコメントと同じく、外国人でありながらよくぞここまで日本のことを精緻に分析しているものだ、という驚きが沸いてくる。それほど、目からうろこ的な分析がされている。 これは「外国人なのに」というより、「外国人だからこそ」なのかもしれない、とも思える。 外国人だからこそ、訪れた日本で出会う日常的な疑問を追及していった結果、日本人のいろいろな階層の人と忌憚ない意見を交わせるジャーナリストという立場もあって、その「日本のかかえる問題」というのを、生まれ育ったヨーロッパやアメリカ、アジアなどの他の国と比べたときの日本の特異性という部分にまで突き詰めることができたのではないか、と思う。 それにしても、今まで見たどの日本論よりもよほど衝撃的な内容である。 一方的な非難や賞賛ではなく、事実を事実として見極めていった結果からの推論ではあるけれども、ここで指摘されている多くのことは、実際に日本人自身も気づいていない、日本というシステムの深層を捉えているように思う。 内容をここで要約するなぞということはとても出来ないが、その全てがそのとおりとは肯定できないまでも、日本に今の状況、そして、ある種の閉塞感や日本人の幸福度の低さを考えるとき、非常に大きな示唆を与えてくれている。 今の日本というシステムをコントロールするシステムが存在しない、という指摘は、確かにそう思わされるだけに、うすら寒くなるものがある。 ある場面で、日本を漂流する国家に例えていた。 この日本、どこへどう漂流してゆくのだろう。 それをコントロールするシステムも、羅針盤も、そしてコントロールできていないという認識も乗組員がもたないままに・・・・

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