お掃除が呼ぶ幸せ(掃除の世界から見えたこと)

2021/11/14(日)11:30

宗教が原因の争いが絶えない

「宗」というのは漢字の意味としてはモトのことで、そこが中心となるもののこと。先祖を祀った廟(びよう)の意も持つようになっている。自分の先祖の祖廟は一族団結の中心であることから、中心・根本として尊ぶ意味がある。 神仏などを超自然的な存在に対する信仰などということで理解するのであればよいのだけれど、それを主導する組織を持ち、教義ができ、儀礼儀典が備わって教えということになるとややこしくなる。 一派をなして宗教と呼ばれるようになると、主催する者のなんらかの意思が働くのか多様化し、神として中心に据えた存在とその教義に従わないものは悪魔であるとして徹底的に排除するようになるのが常となる。 宗教と宗教が対立すると、そこに協調や相互理解は基本的にはないから、説得というものは互いに効かない。神仏をはじめとする超自然的存在は、本来自明(当たり前)ではないのにもかかわらず、信者はそれを誰にとっても自明のものと考え、教祖の言うことを疑うとか自ら考えてみることもせず、その存在について一切の疑念や矛盾点については問わないことになる。乃至はそれをを強いられる。そうしてみると、「宗(もと)」をつかって人間が作った仕組みが宗教であるといえなくもない。 宗教は、そもそもが「人を幸せにする力のあるもの」である筈のもので、それは人種や住む場所によって大きくは違わないはずのものなのではないだろうか?何故ならお互いが人なのだから・・・ 世界の宗教の信者数は、キリスト教が約20億人(33.0%)、イスラム教が約11億9,000万人(19.6%)、ヒンズー教が約8億1,000万人(13.4%)、仏教が約3億6,000万人(5.9%)、ユダヤ教が約1,400万人(0.2%)、その他の宗教が約9億1,000万人(15.0%)といわれている。これら大枠の宗教でも、宗教ごとに分派があって、その分派ごとの対立も現実にはある。世界の各地には現代に至るも、宗教が原因で終わりの見えない戦争が続いている。神様の神様が現れて統一してくれないと、世界平和の実現は難しそうです。

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