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November 23, 2004
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カテゴリ:過去の日記(日常)
ご心配をお掛けしましたm(_ _)m
私が思ってたよりも、沢山の方が私の事を見てくれてるんだな。
って、心強くなりました(>_<
メールを下さった皆様、コメントして下さった皆様、ホントにありがとうございます。
こんな私の身体の心配までして頂けて、感無量です(ノД`)エーン

何が起こったのかと言うと…
少し前にも日記に書いていた、私の母と姉の事、私が無職であるという事です。
原因を書いてしまうと、
なーんだそんな事か=3心配して損した=3
って思われてしまいそうな気はするんですけど、原因を書く事は心配して下さった方への礼儀ですよね。
書く事で私の心も整理出来るかもしれないし。

そんなの読んだってつまんないよ=3って方は今日の日記は飛ばしちゃって下さい。


以前から私の日記を読んで下さってる方はご存知だと思いますが、
私は先月(10月)から無職になりました。
無職になった1日目から、母と姉から働かないのかと毎日言われ続けました。
私が出かけて帰ってきたら、必ずと言って良いほど、姉から「今日はどこ行ってたの?」と聞かれました。
私には、家族から監視されたり、強制される事がとても苦痛だった。
かといって、その事を説明して納得してもらおうと思わない私も悪い。
私の家族に対して、何かを説明して納得してもらおうなんて考えられない。
もう、そんな無駄な事に労力を使う気力が、私には無い。

でも、私はいつも「相手の立場になって物事を考えなきゃ駄目だ」って思ってるんです。
昔は、人間なんて信用出来ない。
好きって何?
愛って何?
感情の意味が良くわかってなかったけど、彼や友人と付き合って別れてってしているうちに
人を愛する感情がやっと自覚出来るようになりました。
人(彼)を愛する事を自覚すると、親が子を愛する気持ちが解るようになりました。

だから、自覚する前までみたいに、自分勝手に親の手をふりほどく事が出来ない。
「もうほっといてよ!!」
なんて言って、家を飛び出したり出来ない。

その我慢が、私にはとても苦痛らしいのです。

でも、私が我慢すれば親の苦痛は消える。
私が反発するよりも、私が我慢して今の状態にとどまっている方が、母には楽だから。

どうして今の状態から這い上がろうとしないかって?
無職なままでいるからそんななんじゃんって?
私もそう思います。
けど、どうしても這い上がれない…

10月いっぱいは、初体験の仕事の疲れを癒して、11月からしっかり職探ししよう!!
そう決めてました。
1ヶ月も休もうと思ったのは、私の身体があまりにボロボロだったから。

それまではこんなになった事の無い程、顔中に治らない吹き出物が大量に出来、
胃痛、腹痛は頻繁に起こり(冷や汗流して、座ってもいられない程の痛みが頻繁に)、
治療しているにもかかわらず、生理痛は治まらず。
まず、1ヶ月もあれば顔の吹き出物は治るだろうと思った事。
能力があれば、顔がどんなでもそりゃ受かるとは思うけど、私は特に優れた能力は無いし、
やっぱり、女である以上身だしなみはちゃんとしたい。
だからこそ、人に会っても恥ずかしくない肌にしたかった。
胃痛・腹痛は、初仕事と言う事でストレスがいっぱいあったせいだろうと思ってたから、
休めば治る、そう思った。

けど、現実は違った。
1ヶ月休んでも、気疲れは全然癒えないし、むしろどんどん疲れが溜まっていってる感じ。
肌に関しても全く良くならない。むしろ、益々酷くなった。
どうして?
仕事疲れが原因だと思ってたのに、どうして良くならないの?
そんな事を思いながら、気が付けば11月になってた。

11月になったんだから、職探ししなきゃ!!
そう思ってるのに、私の頭も身体もそれを否定している。
明日こそは…明日こそは…
その繰り返しで、結局職探しらしい事は何もせず1日が終わる。
そんなんじゃ駄目だと思って、ネットでも見れる職安の求人を見てみても
これといってやってみようと思う事が無い。
解ってる。
やりたい事を見つけて職に就くんじゃなく、やれそうな事を見つけて職に就くのが良いんだ。
そう、母に言い聞かされてるのに、私はやれない。

どうして、自分のやりたい事が無くなったんだろう?
小学生の頃は、将来お菓子屋さんになりたかった。
甘い物が好きだし、作るもの楽しいから。
中学生の頃は、将来考古学者になりたかった。
歴史に興味を持ったから。歴史を知る事が楽しかったから。
高校生になってもその夢は変わらなかった。
大学生になったら、今度はお茶屋さん(カフェ系?)になりたかった。
お茶を最も美味しい方法でいれて、それを美味しいと言って飲んでもらえる事に喜びを感じたから。
言語にも興味を持って、将来外国で暮らしたかった。

でも、私の夢はいつも途中で消えてしまう。

考古学者になりたくて、海外に修学旅行に行ったり出来る高校に行きたかった私。
不純な動機だけど、他にもやりたい事のある高校があった。
私の学力で、十分入れる高校だった(県内では中くらいのレベルの学校)。
けど、そんな私の意志とは関係なく、もっと良い学校に行って、進学しなさい。
それで、私の受ける高校は決まった。
県内で2番目か3番目に難しいレベルの学校。
当時、とても人気のある学校だった為倍率は高かった。
けれど、なんとかギリギリ通るでしょう。という先生の勧めもあり、結局決定した。
私は、心底行きたく無かった。
私のやりたい事は何にも無い学校だった。
どうして進学する為だけに、100%通るかも解らない学校を受けなきゃいけないのか。
そう思っていても、絶対にこれだけは譲れない!!
という意志をもっている訳ではなかったから、私は親を説得する気にはならなかった。
それまでにも、私がやりたいと言った事をやらせてくれた事が無かったから。
やりたくない習い事には行かされてやりたい習い事には行かせてもらえない。
母は、私にどう問いただせば諦めるかを知っているようだった。
「どうしてもやりたいの?やらなきゃ死んじゃうの?お金は自分で出すの?」
そう言われ続けて育った私には、死ぬほどの事じゃなきゃ言っても無駄だ。
そう悟っていた。
それでも、私はその高校には行きたく無かった。
その結果、私は試験の一部を白紙で提出すると言う行動を取った。
それも、呼び出されたりしないように、解る所もわざと書く欄を間違えたり、
私の実力として、落ちたのだ。と疑われない様に。
見事、私はその高校に落ちた。
母は、やっぱり私の実力では無理だったのだと言った。
倍率が低ければ入れたかもね、とも言った。
そうして私は、県内でも落ちこぼれな女の子ばかりが来る女子校に、二次で進学した。
(実は、この女子校の方が私が多少なり興味の持てる分野があったからだけど…)

そんな高校でひょんな事が起こった。
入学してすぐに実力試験のような物が行われ、その成績で進学クラスに入る子が選ばれるというものだった。
クラスは1学年8クラス近くあるけれど、進学クラスはたった1つ。
もちろん、そんなクラスに入りたいとも思っていなかった。
試験も、中学の頃と同じように入学式に渡された試験勉強問題集で勉強して、普通に受けた。
ところがどっこい、その試験で私は学年2位と言う成績をおさめてしまったのだ。

ちなみに、全く人に自慢出来る事じゃありません。
だって、中学の入試問題かと思うくらい簡単な試験だった…
事前に渡された問題集に載ってるのがそのまま出てるのばっかりだったし。。

そんなこんなで、私は否応なく進学クラスに入ってしまった。
学年2位と言う結果を知った母は、次の試験では1位を取れ!!と言った。
その言葉通り、私はその後行われた中間試験・期末試験で3年間1位を取り続けた。
最初は、100点を取るごとに1000円お小遣いをくれると言う誘惑に負けての事だったけど、
2年生になる頃には、トップをキープしなければ。
という、自分のプライドだけで、試験期間中一睡もせず試験範囲を全て暗記し、トップをキープした。
でも、私の勉強法は、普段の授業中真面目に授業を受けるだけ。
試験の前日に、真面目に取ったノートを最初から最後まで丸暗記するだけ。
だから、試験が終わればぜーんぶすぐに抜けていた。
今思えば、そんなので良く1位取れたなぁ…と思う。。
それだけ勉強内容の簡単な学校だったっていうのもあるけど。

3年生になる頃には、母も先生も私を国立の大学に行かせる気満々だった。
私特別の補修をしてくれて、他の学校ではここまで勉強していると言う教科書を出してくれた。
それでも、私はまだ考古学者になりたいと言う夢を捨てられなかった。
授業でも、歴史が一番好きで楽しかった。
大学に行くのなら、史学科のある学校が良かった。
けれど、そんな学校は県内にはない。
県外でも良いから、頑張ろう!!そう思って、私は特別補修を受けていた。
そして、いざ志望校を決めると言う時になって、私は親とも教師ともぶつかった。
私の学力では、希望している史学科のある大学に入るのは難しいと言う事。
推薦もしてくれる県内の国立の方が確実だし、学費も安いと言う事。
それでも私は史学の勉強がしたかった。
高校では全然出来なかった、歴史の勉強がしたかった。
それでも、国立大を受ける道は得られなかった。
そして、私は高校受験の時と同じ事をした。
推薦入試は、面接が命。
私は、面接でわざと落とされる様な態度を取った。
競争率の高かった国立大では、そんな態度で通るはずがないと言う事は当然だった。
結果、私は無事落ちる事が出来た。
それでも、私の進みたい道は閉ざされたまま…
いくら私が県外の大学に行きたいと言っても、母も父も許してくれなかった。
理由としては、これからの時代に史学なんか勉強しても就職先が無いと言う事。
一応娘なので、県外に出すのは心配と言う事。
私立なので、学費が馬鹿高いと言う事。
それを聞いても、私はどうしても行きたかった。
そして、最後に母から出された言葉は、昔と一緒だった。
「どうしてもやりたいの?やらなきゃ死んじゃうの?お金は自分で出すの?」
幼い頃からずっとそう言って私の意志を試して来た母。
一度でも、私のやりたい事に進んで協力してくれた事の無かった母。
私には、4年間で何千万もかかる私立大の学費、生活費を自分でどうにかしようなんて気には
なれなかった…。
苦しい事が目に見えてる…家出同然になってしまう…

…その大学も諦める事にした。
私は進学せず、適当にバイトでもして生きていこうと思った。
学歴が必要なら、県内の英語科・秘書科のある女子短大に行こうと思った。
しかし、その意志も虚しく散った。
あれほど、私立だからと反対をした両親が、今度は県内の私立の大学を勧めて来たのだ。
理由としては、その大学は理工系でこれからIT社会になるのだから
こんな大学を卒業していた方が就職率が良い!
そんな理由だった。
でも、私はそれまでずっと文学系の勉強しかしていない。
私自身、理系は苦手だし、好きじゃない。
第一、男しかいない大学に、女子校出の私が入るなんて信じられなかった。
やりたい事なんて全く無い、環境も最悪、興味の有る事なんて1つも無い。
それでも、両親共に勧めて来た。
最終的には、家を出て行けといわんばかりだった。
私には、それがもう耐えられなかった。。
もう、希望の大学を諦めた時点で私の心はいっぱいいっぱいだった。


  次の日記に続きますm(_ _)m





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Last updated  November 26, 2004 03:51:45 AM
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