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テーマ:旅のあれこれ(10256)
カテゴリ:人間サン
台湾似非東方名人旅行記再開です 少し間があいたので忘れちゃった ぢゃ 復習してから本文に入るように。。。(=`^´=) これまでのstory プロローグ 第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話 第7話 第8話 第9話 台湾1日目、2日目とバスで色々回りましたが、車窓から見る景色に「降りてみたい」と感じることが何回かありました。建築の事はど素人で全然わからないけど、日本統治時代の建物、古い建物を見かけると何だかワクワクします。 自由行動の最後はそんな場所へ行ってみようと思いました。 総統府(ツォントンフー) 中華民国総統府は中華民国元首の官邸です。日本統治時代の1919年に建てられました。当時は総督府と呼ばれ日本国内で建築家を募集して建てたそうです。上から見ると日本の「日」の字の形をしています。 ツアーの観光ではほとんどが車窓からの見学ですが、平日の午前中台湾人と日本人に公開されています。この時の写真撮影はNGですが、3か月に1回の一般公開の時は撮影できるそうです。 立ち寄ったのが午後だったし、見学には短パン・サンダル禁止。この日のダーリンの格好ぢゃ完全に拒否されるので、次回のお楽しみに取っておきます。 二・二・八和平公園(アーアーバー・ハアピンゴンユェン) 台湾の歴史において大変悲しい事件「二・二・八事件」の中心地だった場所です。1996年に事件の犠牲者を追悼する碑が建てられ、公園の名前を二・二・八和平公園に改めました。事件の舞台となった当時の放送局は二・二・八和平紀念館として資料の展示などを行っています。 のどかな市民が憩う公園が、そんな悲劇の中心地だったというのは考えさせられますね。 公園内には国立台湾博物館もあります。 台湾大学醫院 日本統治下の台湾総督府付属の病院として建てられたレンガ作りの洋館。現在も台湾大学医学部付属病院として使用されています。 この建物を日本人建築家が建てたとは信じられないですね。横浜にも赤レンガ・バロック様式の建築物が多数残っていますけど、大半は外国人建築家の手によるものです。大正時代に既にその技術を吸収し、こんなに素晴らしい建築物を残したなんて驚きます。 こちらは台大醫院駅。同じレンガ作り。 台大醫院から台北駅目指して歩きます。この辺りは歴史的な建物や裁判所・官庁などが多く見られる台湾の中心的通りです。 台北賓館(タイベイビングァン) 日本統治時代の1901年に台湾総督の公邸として建てられました。また、当時の迎賓館としても使用され、皇太子時代の昭和天皇も宿泊した建物です。 1952年に日本と中華民国の英和条約が調印された場所でもあります。長く非公開でしたが近年、年に数回一般公開されるそうです。 これは外交部。日本で言う外務省ね。 台大醫院の本館。立派な建物~~! 名前は分からないけど古い感じの教会。 中華民国監察院。これも日本統治時代の建物だそうです。 足元見ると何やら文章が書かれたブロックがありました。文学の歩道だそうですよ。 中山路と忠考路の起点になる交差点。 ここから奥が忠孝東路一段、手前は忠孝西路一段。左が中山北路一段、右が中山南路になります。。。。って言っても分からない人の方が多いよね^m^ やっと台北駅が見えてきました(T_T) 総統府から二・二・八和平公園をぐるぐるし、色々な建築物を見ながら約3km歩きました。朝からだと合計で7~8km歩いたかも。。(・_・;) ということで記念撮影。 次回訪問時に参考になるので台北駅構内を少しだけ探検してタクシーに乗りました。 ホテルまであと1.7kmだったけど、ふくらはぎがパンパンなので、続きはまたいつになるかわからない後日に 以上、似非東方名人台灣初學者(エセセレブ台湾ビギナー) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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