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テーマ:食べ物あれこれ(49630)
カテゴリ:人間サン
昨日の節分に 恵方巻きは召し上がりましたか
~Wikipediaより~
厄除けのイワシは苦手なので シシャモにしてみましたわ しかも 偽物樺太産(;一_一) (あぁ。。。ホンモノが喰いたいぜ) 脱線いたしましたが 。。。。。 とは言え あんなデッカイ太巻き 丸かじりっつーのは 純情なアタクシにはなかなかできませんので やっぱり輪切りにして食卓へ上りますわね でもよぉく考えたら 恵方巻き恵方巻きと騒ぐようになったのは つい最近の気がいたしますわ そこで 好奇心旺盛研究熱心なアタクシ 由来なんぞを調べましたの 期限・概要 節分の日は暦の上で春を迎える立春の前日にあたるので、一年の災いを払うための厄落としとして「豆撒き」が行事として行われているが、大阪などでは同日に太巻きを「巻き寿司」「丸かぶり寿司」や「恵方巻」と呼び、それを食べるイベントが行われる場合がある。 恵方巻は、太巻き(巻き寿司)を節分の夜にその年の恵方に向かって無言で、願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじり(丸かぶり)するのが習わしとされている。「目を閉じて」食べるともされるが、一方「笑いながら食べる」という人もおり、これは様々である。また、太巻きではなく手巻き寿司を食べる人もいる。 (中略) 大阪弁による表現である「丸かぶり」という言葉から、元々は商売繁盛家内安全を願うものではなかった、との考察もある。 このイベントが活発化したきっかけは、後述のように関係業界の販売促進活動である。2000年代以降には、形が恵方巻に類似する円柱状の食べ物、ロールケーキなどの各種商品においても販売促進活動が見られる。 起源・発祥 ・大阪船場の旦那衆が節分の日に行っていた、遊女に巻きずしを「丸かぶり」させるお大尽遊び(花魁遊び)を元とする説 ・江戸時代の終わり頃、大阪の商人たちの商売繁盛と厄払いの意味合いで、立春の前日の節分に「幸運巻寿司」の習慣が始まったとする説。 ・ 江戸時代末期から明治時代初期において、大阪の商人(「船場の商人」とする資料も存在する)による商売繁盛の祈願事として始まったという説。起因として「厄落とし・縁起担ぎ」「船場にある階段の中段で女性が太巻きを丸かじりして願い事をした」「船場の旦那衆の遊び」が挙げられている。 ・豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が偶々節分の前日に海苔巻きのような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説(ただし、板海苔の誕生は江戸時代であることから、この説の根拠の乏しさが指摘されている)。質素倹約の時勢である点からも、この説の根拠は乏しい。[独自研究?] ・1800年代のある年の節分の日に、大阪近郊の申村(現在の此花区伝法付近と比定)に住む老若男女が集まり、巻寿司を食す時に、切り分ける手間を省くために一本丸かぶりをしたというのを発祥とする説。 和歌山県(旧紀伊国)説。 滋賀県(旧近江国)説。 などがあるが、いずれも不確かである 1969年に篠田統は著書『すしの本』(1970年発行)で 本日巻きずし有りという広告を見たが(中略)、おもに花街で行なわれ、新こうこうが漬かる時期なので、その香の物を芯に巻いたノリ巻を、切らずに全(まる)のまま、恵方のほうへ向いて食べる由。老浪華人の塩路吉兆老も今日まで知らたんだ。(中略)もちろん、私も初耳だ。普通の町家ではあまりやらないようだ。 大正時代初期に大阪の花街で、節分の時期に漬けあがる新香巻を使った海苔巻きを恵方に向かって食べる風習があった。 ~Wikipediaより~ 。。。。 諸説はあるけど 要するに 恵方巻きっつーのは 殿方の沈々に見立てられた っつー解釈で よろしおま 助平さんたちが遊女にかじらせた って そういうコトかぁ(6 ̄  ̄)ポリポリ そりゃア~タ いくらアタクシだって 丸かじりに抵抗感じるハズですわ(。-_-。)ポッ まさかの連チャン壇蜜w( ̄▽ ̄;)w 人前で何の抵抗も無く 節分だからって恵方巻き丸かじりしてる 女子の皆さん!! 来年は自重致しましょう(-ε-)b あこの日々のヨロコビとなります 毎日ポチッとヨロシクね 今日も思ったより力作ブログになっちまったので 米返・訪問遅れマス 人( ̄ω ̄;) スマヌ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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