Profile
あこちゃい1919
熱しにくく冷めやすく、愛しやすく愛されにくい体質のまま、わんこにゃんこに愛情を注ぎすぎ、旦那を忘れ去るという暴挙もしばしば♪そんなあこ様の日常茶メシ事~~!!
Free Space
Archives
Calendar
Comments
< 新しい記事
新着記事一覧(全3965件)
過去の記事 >
引っ張ってゴメンねぇ~ ホントマウスの調子が悪いのよ(;一_一) お掃除しても電池変えてもダメなのよ~ 換え時なのかしら っつーコトで 会津の歴史(主に戊辰戦争)を訪ねて行っておりますが 時間もあまりないので最後に選んだのはコチラ 今回一番行きたかった 「西郷頼母邸跡」でございます。 何故この地選んだかというと。。。。 西郷頼母という人物は、会津藩の中でもちょっと異色の人物で 意見の相違で度々解任されたり蟄居させられたり。 それでも会津の行く末を模索し 最後には戊辰戦争に加わるものの 白河を守れなかった責任を取らされ追放。 命を懸けたいという願いとは裏腹に新政府との戦いに何度加わっても生き延びた 波乱万丈の人生を送った人物。 その西郷頼母邸にどうしても行ってみたかった理由。 それは「白虎隊」の陰に隠れ あまり知られていなかったもう一つの悲劇。 頼母の登城後家を守っていた女性たちは 官軍の進撃の際、捕虜となって辱めを受けるよりは死を選んだ。 頼母の母58歳を筆頭に 妻、妹、頼母の娘たち 二十数名の女性がここで命を絶ちました。 その中には頼母の1歳になる末娘も含まれていたそうです。 有名な話に 女性たちの自害の後、頼母邸に突入した土佐藩士が 悲惨な光景の中死にきれていない娘を発見。 頼母の娘で 朦朧とした意識の中もはや敵か味方の判断もつかず 「お味方ですか?」 と尋ね、哀れに思った土佐藩士が頷くと介錯を頼んだといいます。 16歳ほどの娘を介錯することに 土佐藩士も涙が止まらなかったそうです。 長くなっちゃったけど この話を知ってから 会津に行く機会があったらぜひ手を合わせたいと思ってたの。 頼母邸跡には 女性たちが詠んだ辞世の句。 なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節の ありとこそきけ 西郷千重子(頼母 妻) 気高く武士の一族として恥じない女性故に起きてしまった悲劇。 何の縁もゆかりも無いアタシでも 手を合わせることで彼女たちの魂の慰めになるでしょうか。。。 と ちょっと重い感じで戊辰戦争の傷跡を訪ねるのはココで終わり。 まだまだ続きがあるけど そんな感じで次回につづく(* ̄  ̄)b あこの日々のヨロコビとなります 毎日ポチッとヨロシクね
どんだけ飢えてた!? 2024年01月30日 コメント(7)
Happy New Year! 2024 2024年01月01日 コメント(3)
喪中はがきが届く頃 2023年12月08日 コメント(4)
もっと見る
PR