カテゴリ:噺家の落語とボクの人生落伍記
太宰治『富嶽百景』六回目
とかくして頂上についたのであるが、急に濃い霧が吹き流れて来て、頂上のパノラマ台とい う、断崖の縁に立ってみても、いっこうに眺望がきかない。何も見えない。井伏氏は、濃い霧 の底、岩に腰をおろし、ゆっくり煙草を吸いながら、放屁なされた。いかにも、つまらなそう だった。パノラマ台には、茶店が三軒ならんで立っている。そのうちの一軒、老爺と老婆と二 人きりで経営しているじみな一軒を選んで、そこで熱い茶を呑んだ。茶店の老婆は気の毒がり、 ほんとうに生憎の霧で、もう少し経ったら霧もはれると思いますが、富士は、ほんのすぐそこ に、くっきり見えます、と言い、茶店の奥から富士の大きい写真を持ち出し、崖の端に立って その写真を両手で高く掲示して、ちょうどこの辺に、このとうりに、こんなに大きく、こんな にはっきり、このとおりに見えます、と懸命に注釈するのである。私たちは、番茶をすすりな がら、その富士を眺めて、笑った。良い富士を見た。霧の深いのを、残念にも思わなかった。 僕が荻窪のご自宅に伺った時、井伏鱒二さんに、三つ峠での放屁の事を お尋ねしました。「あれは彼の創作、出鱈目だ」と多少迷惑そうに、おっ しゃいました。 福山から東京に転任後、お招きに図々しくも井伏家をお訪ねし、二人で、 当時、世にも僕も知らなかった英国のウヰスキーを一本空にし、更に寿屋 製も頂き、夕飯には、丸々一本の鰻のかば焼きのご馳走にもなったのです。 と言うと、恐らく百人中九十九人が、紛れもなくお前のつくり話、嘘に決ま っていると仰る。 残念、実話です。この際、信じる人だけが恵にあずかれる。 井伏鱒二さんに初めてお会いしたのは、広島県福山市の北、深安郡加茂町 粟根の井伏家(いぶせでなく、いぶしと呼び、屋号の中の土居は、なかん でぇえと呼んでいました)で執り行われた法事に家内の父の代理で出席し た時。義父の姉が鱒二さんのお兄さんに嫁ぎ、その子供が章典さん、家内 とは従弟同士、瀬戸内海の魚を肴に、よく飲ませてくれました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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