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ロビンソンの ちょっと楽しい縄文生活!

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2012年12月18日
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日本人と騎馬民族とのかかわり  

旦那がね、中国やら朝鮮民族の歴史調べて何になるのって呆れてる。歴史なんてすでに起ってしまってることだし、侵略や滅亡はいつの世も一緒だという考え方かな。もう一つは、答えが出ない問題ということかな?

でも私は、めちゃんこ面白い。知的好奇心ていうやつ。これを調べるのは、ニンジンなんてなくても何時間でもできる。

・日本人がどうできてきたか?

・どんな民族がなぜ生き残れたのか?   知りたい!

 

「東北アジア騎馬民族系王朝の日本征服・統一国家(大和朝廷)樹立説」

      ~江上波夫東大教授 「騎馬民族国家」(中公新書) ~

        日本人の源流さんの 騎馬民族征服王朝説の登場をロビンソンが短く要約    

≪アジアの騎馬民族が馬と一緒にやってきた!≫

・前期古墳文化は鏡や剣や玉の副葬など多分に弥生式文化の要素がある。呪術・宗教的色彩が濃い。魏志倭人伝に見る倭地の状態からあまり遠くないと想像される。

・後期古墳文化異質な文化が現れる。変化はかなり急激で、自然な推移ではない。副葬されている武器・馬具・服飾品の大部分は、3世紀ころから5世紀にかけて、満蒙・北シナ方面に大活躍した東北アジアの騎馬民族。いわゆる胡族のそれと殆ど全く同類である。部分的に列島に受け入れられたというより、そっくりそのまま、何人かによって持ち込まれた。

・従来、馬牛の少なかった日本列島に、後期古墳時代になって急に多数の馬匹を飼養するようになった。騎馬を常習とした民族が馬を伴って、かなり多数の人間が大陸からこの列島に渡来して来たと考えられる。

・後期古墳の濃厚な分布地域が軍事的要地と認められるところに多い。

・騎馬民族は陸上だけでなく、海上を渡っても征服欲を満足させようとする。蒙古襲来すなわち元寇。南部朝鮮まで騎馬民族の征服活動があった場合、日本列島への侵攻もありえる。

・前期古墳文化人なる倭人が、騎馬民族的大陸北方文化系文化を受け入れて、その農耕民的文化を変質させたのではない。大陸から朝鮮半島を経由し、直接日本に侵入し、倭人を征服・支配したある有力な騎馬民族があり、その征服民族が、後期古墳文化を持ってきて、日本に普及させたと解釈する。

≪騎馬民族は大和朝廷を建国した?≫

・経路は、東部満州・北部朝鮮(夫余・高句麗)→南部朝鮮(加羅・任那)→第1次北九州→第2次畿内

・第1次の日本建国は崇神天皇であったとする。崇神天皇は、呼び名の御間城入彦(ミマキイリヒコ)の意は「任那の宮城に居住した天皇」ということ。任那が日本の肇国(はつくに、ちょうこく)の天皇の居城の地。そこが日本国発祥の地として、そこにあった政庁が日本府と呼ばれていたとしても不思議ではないと説明する。『旧唐書』(くとうじょ)の日本国の条にある「日本もと小国、倭国の地を併す」とあるのは、渡海によるこの1回目の日本征服・建国の事実を指したものに違いないと江上は言う。
 
・第2次。記紀の伝えるところでは、応神天皇は筑紫の生まれであり、かつ陵墓の方は畿内の河内にある。応神こそ北九州から畿内に進出し大和朝廷を創始した天皇に符合すると言うのである。そして天孫降臨神話こそ第1回目の建国を記したものであり、神武東征神話が第2回目の建国を反映したものという。

・騎馬民族は、記紀の伝承との照合によっても、4世紀初頭に筑紫を侵寇し、4世紀末ごろ北九州から畿内に進出し、そこに強大な勢力を持った大和朝廷を樹立した。それは応神・仁徳両陵墓に代表される、古墳時代後期の開幕に相応する、と江上は説明する。

≪歴史書に登場する倭人とは 加羅からやってきた人たち≫ 

・4世紀、中国の史書から消えた倭は、4世紀末 広開土王碑に登場し、5世紀にまた中国史書「宋書」に5人の倭王、讃・珍・済・興・武が登場する。誰が誰に相当するのか、いろいろな説があるが、一般的には「讃」→履中天皇、「珍」→反正天皇、「済」→允恭天皇、「興」→安康天皇、「武」→雄略天皇と言われている。

・前近代の東アジア世界の国際関係は、中国王朝を中心とした冊封(さくほう・・官爵を授ける)という形式で秩序付けられていた。中国に朝貢して来る遠来の夷狄の朝貢は、皇帝の徳の高さの証明とされ、皇帝の権威を高めた。周辺諸国の王も、冊封を受ければ中国王朝に承認されたことになり、国内の権威が高まり、周辺諸国との外交関係でも優位に立てた。

・宋書の倭の五王の記述で 倭国王は珍から武まで一貫して、何故かしら、当時すでに存在しない秦韓と慕韓を軍政権の範囲に含めるよう求めている。また「百済」も軍政権の範囲に含めるよう強引に求めている。当時の倭王は.現実には朝鮮で任那(伽羅)一国だけを直轄領にしていたにすぎないが、かつて馬韓・弁韓・辰韓の三韓時代に、その支配権を三韓全体に及ぼしていたという事実、ないしそのような有力な伝承があって、したがって倭王は、現在でも南部朝鮮のすべてを支配する歴史的根拠・潜在的権利を保有している、という立場をとっていたのではないか。

・「魏志韓伝」によると三韓の時代、辰王という王がいて馬韓に属する月氏国に於いて治していた。辰韓、弁韓合わせて24ヵ国のうち半分の12ヵ国も服属していた。辰王は三韓以外の地(扶余・高句麗)から流移してきた人だったので、馬韓諸国の承認を得なければ、自ら立って王となることは出来なかったが、事実上王位を世襲していた最有力の支配者であり、征服王朝的性格の強い王であった、3世紀頃のことだ、と江上は言う。

・その後、3世紀後半、魏の半島南下政策と衝突し辰王の勢力は衰えて、4世紀前半には百済が建国され、後半には新羅が成立する。辰王あるいはその系統は打開策として、海を渡って倭国(筑紫)に進出支配地域が弁韓(=任那)だけに縮小したし、いわゆる倭王、倭韓連合王国の王になった。そうしてそのことが,『旧唐書』「東夷伝」の日本国の条に「或は言う、日本旧(も)と小国、倭国之地を併す」とあるのにも合致する、と江上は説く。

・辰王の血脈などの人々が、馬韓(百済)や弁韓(任那)から招聘されたり逃避したりして倭国に来た。ヤマト王権の側近として重用され、国際社会の情報蒐集や外交政策の立案に携わったと考えることもできる。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・工事中・・・・・






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最終更新日  2012年12月18日 22時19分57秒
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