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カテゴリ:日本ってなんだ研究
朱蒙の兄 沸流と温祚はどこへ高句麗、沸流百済、温祚百済 院長日記より全文転載毎週火曜日、テレビ京都で「朱蒙(チュモン)」再放送が放映されており、楽しみに見ています。扶余が高句麗を建国したといわれますが、高句麗開祖にして東明聖王と呼ばれた朱蒙。その父は多勿(タムル)の人で、母親ユファは河伯(ハンベク)の人。父が殺されて、母が扶余王に嫁ぎーの、朱蒙も扶余王の養子として迎えられました。ケルの娘、召西奴(ソソノ)とラブロマンスがあるものの、朱蒙が戦闘やら人質として囚われの身になっているうちに、ソソノはチュモンが死んだものと思い込み、別の男と結婚。生まれた男子が、沸流(ピリュ)と温祚(オンジョ)。ともに沸流百済、温祚百済の開祖です。どうやら「百済本紀」は後世改ざんされているようで、沸流百済、温祚百済、仇台(クデ)百済の3つの歴史を1つの歴史にまとめてしまっています。それにしてもユファもソソノも超美人ですね。 高句麗第2代、瑠璃明王の父は朱蒙、母イェソヤは河伯(ハンベク)の人。朱蒙の妻イェソヤが急逝して、美人のソソノがチュモンの後妻に入りますが、血のつながりのない沸流、温祚は瑠璃明王に殺されることを恐れ、韓民族が住む南の地に逃れます。扶余も高句麗も百済もツングース族です。温祚百済(山彦)は馬韓との戦いに勝って、馬韓の地を侵略します。沸流百済(海彦)は移った先が、倭と呼ばれた沿岸部や島々の塩田であったために細々と生き延びることになりますが、仇台百済となってからは勢いを増し、広開土王による遠征などで高句麗に滅ぼされた温祚百済にバトンを渡されることとなります。 高句麗・仇台百済・倭(沸流百済)から朝鮮半島を追われた温祚百済は、日本の福岡県博多に移住。北九州に住んでいた先客の沸流百済を退けて、九州王朝を建国。奈良県の大和朝廷と対立することとなりました。尾張のホノアカリが国見(くにみ)を行って奈良県飛鳥に都を置いたのが大和朝廷の始まり。ニニギの血を汲む天孫族が大和王権の大王(おおきみ)になりました。ニギハヤヒの血を汲む物部氏が大王を補佐しました。大和朝廷の皇子ヤマトタケルも、博多で一戦を交えていたかもしれません。九州王朝は倭の五王を輩出したといわれています。その頃の大和朝廷は、鉄器を司る大伴氏、物部氏によって護衛されましたが、仲哀天皇・神功皇后→応神天皇、武烈天皇→継体天皇でお家断絶の危機でした。大伴金村らの功労で、天皇家はなんとか血統を保てました。仇台百済の聖明王と大和朝廷の欽明天皇の治世で仏教伝来。五経博士が来日しました。しかしそんな平和もつかの間、蘇我氏のクーデターによって、敏達天皇一族が暗殺され、九州王朝が大和朝廷を乗っ取ろうとして、用明・崇峻天皇は短命に終わりました。大化改新(乙巳の変)で蘇我氏が失脚。九州王朝系の天智天皇と、大和朝廷系の天武天皇のあいだの政争は凄まじいものでした。 左図は、「朝鮮半島の歴史地図」に掲載された温祚百済と馬韓の戦闘状況です。西暦250年は邪馬台国(金官伽耶?)の卑弥呼が、倭の大乱を治めたころであって、朝鮮半島では、韓民族の馬韓に臣下の礼をとっていた、ツングース族の温祚百済が、馬韓の要所であった目支国を打ち破っています。豊富な農作物・水産物・鉄を背景に温祚百済は勢力を伸ばしたのです。劣勢の沸流百済から仇台百済が分家したのもこの頃。韓民族の辰韓から韓民族軍人がクーデターを起こして建国したのが新羅。韓民族の新羅が、ツングース族の百済と仲が悪いのはこれで納得いただけるでしょう。朝鮮半島沿岸部や島々に住む沸流百済を中心として、対馬、北九州まで含めて倭と呼んだようです。百済に臣下の礼をとり、韓子(からこ)と呼ばれる混血児が治めた伽耶の国々は、新羅と国境を接する金官伽耶(邪馬台国?)をはじめ、新羅と戦闘をくりかえしていました。伽耶出身の蘇我氏と、日本古来の天孫族であった物部氏が激しく対立していたころ、532年金官伽耶は新羅に滅ぼされてしまいました。 百済の歴代王は馬韓の自治を認めていたようです。しかし、高句麗に滅ぼされた温祚百済に代わった仇台百済も、高句麗に敗北し続け南下を余儀なくされ、馬韓の地に武力侵略せざるを得なくなりました。そんな時代に生きた武寧王の墓は有名ですね。馬韓の地だけに何基も前方後円墳がみつかって話題になっております。前方後円墳は吉備・岡山県を起源とし、大和や難波に築かれた日本発祥の文化だと私は考えています。ひょっとして馬韓と、継体天皇率いる大和朝廷との間に同盟や人的交流があったのでしょうか?馬韓の敵は百済、大和朝廷の敵は倭の五王が率いる九州王朝だと考えれば、この同盟は理にかなうような。 韓国では「朱蒙」に次ぐ第二弾「沸流・温祚」が撮影快調とのこと。楽しみに来年のテレビ公開を待ちたいと思います。
・・・・・スサノオ研究の参考に転載しましたが 問題があれば削除いたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年10月20日 15時15分10秒
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