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カテゴリ:日本ってなんだ研究
午年に妄想した 蘇我馬子と聖徳太子とキリストの関係! ムーさんのブログの 午年に現れるか?馬小屋の救世主の意味を読んで、 ・・・まったく理解できませんでした。私の脳は、そうとう硬いらしい。 それでもって、妙な妄想だけがむくむくと浮かんできました。
馬小屋で生まれた救世主といえば、キリストですよね。 日本で馬小屋で、生まれたのは 聖徳太子です。
お母さんが馬小屋の近くで産気づいたって、関祐二さんの本か黒岩さんの本で読んだ。
聖徳太子が生まれたのは、蘇我馬子の家。 馬子の家は、河南カナン近くの葛城。
そこで浮かんだ とんでも妄想は・・・・ 飛鳥で都を築いた人たち・・・ もしくは、ぐっと狭めて 蘇我一族は、 キリストを知っている渡来系の民族だったんじゃないだろか?
キリストの誕生日は、紀元1年前後(紀元前7年~西暦4年) 574年後に 午年に 蘇我馬子の家で生まれた 厩戸皇子には、 この日本でやってくぞ。ついに権力の中枢に食い込んだ。これからだという 一族の再生への思いがこもっていたのではないか と妄想したわけよ。 今年は、聖徳太子が生まれてから1440年。 どこかでまた、新しい時代の王子が生まれてるのかもしれないわと思った。
≪ 参考資料 ≫ 聖徳太子 Wikipedia 本名は厩戸(うまやど・うまやと)であり、厩戸の前で出生したことによるとの伝説がある。また、母が実母である蘇我小姉君の実家、つまり叔父・蘇我馬子の家で出産したため、馬子屋敷が転じて厩戸と付けられたとする説や、生誕地の近辺にある厩戸という地名から名付けられたとする説もある。
出生について[Wikipedia 聖徳太子]「厩の前で生まれた」、「母・間人皇女は西方の救世観音菩薩が皇女の口から胎内に入り、厩戸を身籠もった」(受胎告知)などの太子出生伝説に関して、「記紀編纂当時既に中国に伝来していた景教(キリスト教のネストリウス派)の福音書の内容などが日本に伝わり、その中からイエス・キリスト誕生の逸話が貴種出生譚として聖徳太子伝説に借用された」との可能性を唱える研究者(久米邦武が代表例)もいる。 しかし、一般的には、当時の国際色豊かな中国の思想・文化が流入した影響と見なす説が主流である。ちなみに出生の西暦574年の干支は甲午(きのえうま)でいわゆる午年であるし、また古代中国にも観音や神仙により受胎するというモチーフが成立し得たと考えられている(イエスよりさらに昔の釈迦出生の際の逸話にも似ている)。 出生地は橘寺、またはその付近とされる。橘寺はタヂマモリが垂仁天皇の御世に常世の国から持ち帰った橘の実の種を植えた場所といわれる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年01月16日 12時05分37秒
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