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テーマ:暮らしを楽しむ(388237)
カテゴリ:日本ってなんだ研究
日本人のルーツ縄文人を研究する2 富山県の小竹貝塚から発見された人骨から復元すると、 縄文人は、こんな顔だった。 熊みたいな濃い顔じゃなくて、鼻筋の通ったイケメンだった!! そして、これは九州のどっか…佐賀だったか?忘れた。 その遺跡では、多くの籠が発掘され、中に食料を保存していた。 大きな牡蠣やら、すっぽんやら、どんぐりのクッキーなど、豊かな食事だったこと分かる。 なんとピアスまで付けていたことが分かった。 もちろん、だれでもできることじゃないよ。豊かな人がだね。 三台丸山遺跡やほかの遺跡でも、他の土地の産物で作った装身具が発見されている。 多くの遺跡で発見されるのが、ヒスイだ。 ヒスイは、古代珍重された。
蘇我氏がその加工流通の利権を保有していたと、他の本で読んだことがある。 光が当たると、ヒスイが輝くことを番組で初めて知った。 ヒスイの持つ神秘性は、そこにあったんだな。
そして、ヒスイの緑色は、植物育っていく色でもあった。 ヒスイは、霊力や権力の象徴でもあったのかも? ヒスイというのは、糸魚川周辺でしか産出しない。
古事記に出てくるヌナカワヒメっていうのは、そのヒスイの利権を持った王の娘だな。 スサノオの息子、または子孫、または女婿といわれる大国主が、懸想した話に出てくる。 ヌナカワヒメと大国主との間に生まれたのが、タカミナカタという話がある。 タケミナカタは、出雲での新勢力(天孫系)への国譲りに納得できない。 最後まで戦って、信州の諏訪に逃げ込んで、諏訪大社に祀られている。 そっちに逃げても、かばってくれる濃い知り合いがいたってことだろう。
古事記の中にも、権力がヒスイに寄っていくところが見られる。 そういえば、ツヌガアラヒトも玉に魅せられて日本にやってきた新羅の王子だったとか? つまり、半島まで、ヌナカワのヒスイは流通していたということ。 ヒスイでできた装飾品の発掘遺跡を見ると、中央構造線から東だと分かる。 東と西では、縄文時代から文化が違うのだ。 ちょうどこの中央構造線辺りで、分かれるらしい。 …これは現在にも残ってるらしいよ。 マックというところとマクドというところがあるとかさ。冗談話じゃないよ。 道具とかいっぱい違うらしい。誰か有名な先生の本で読んだ。誰だったかなぁ…。
しかし、いつかヒスイが霊力を失う時代がやってくるのだ。 その勢力転換が、完全に終わるのが蘇我氏が滅びるころと重なるような気がしてる。 新しい勢力が日本に多くなったのではないかな。
ヒスイに替わる霊力があるものは、何になったんだろう? 鏡だったんじゃないかなと推測する。 アマテラスが岩谷に隠れた時も鏡が使われた。 卑弥呼も、大量の鏡を配布して勢力を伸ばした。
その後、銅鐸、銅矛、鉄、古墳? 何時の時代も、権力者は自分の力に威厳(霊力)カリスマ性を持つ必要があったのだ。 縄文土器は独特な火炎の形をしている。 土偶もまた独特な作品だ。 近年土偶は、世界の考古学の中で高い評価を得ている。最も古い芸術作品とか。
土偶の女性は、どれも豊満な体をしている。 当時の美の基準は、豊かさだったのだ。 はぁ~、それならおいらは確実に美人だな。縄文美人。 痩せているということは、十分食料がないということだからな。 がりがりちゃんたちは、人気がないってことさ。
豊かな食生活と、創造的な暮らし。 縄文時代って、なんて魅力的なんだろう!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年12月29日 13時03分29秒
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