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ここは達也と私が大好きな場所だった。 晴れた日も雨の日も ここからの港は最高の眺めだった。 入り口には関係者以外は ご遠慮下さい、と書いてあるのに、私がこの喫茶室に入るのを 咎められたことは一度もない。 広いスペースに、ゆったりとした ソファや椅子が置かれたこの喫茶室の人目につかない端っこが 私達の指定席だった。
達也に会ったのもこの場所。 私が初めてここにきた時、 この席に座っていたのは達也だった。 私は入り口の看板を気に して店員の目を避け、柱の陰に腰を下ろし、昼休みの大半を 読書をして過ごした。 そして、彼もまた同じように1時になる ほんの少し前まで、本を片手に座っていた。 いつからか、どちら からともなく、顔を合わせると会釈をするようになり、お互いに 読んでいる本について話すようになり、そして、このお気に入り の場所で寄り添って短い時間を静かに過ごすようになった。
初めて出会ってから数ヶ月後、仕事が終われば二人で散歩を、 お腹が空けばレストランへ、音楽が聴きたくなればジャズバーへ。 そんな付き合いが始まり、私達は思いつくままに、無駄に自由な 時間を費やした。 このまま時間が止まればいい。 そう思った のは私だけだったのか。 達也との心地よい時間は私の生活の 一部となり、彼のからだも私の一部のようにさえ感じた。 触れ合う 彼の肌から感じる体温が私のからだに溶けて浸み込むように、 私達はひとつになった。 彼の血液が私の体中を駆け巡り足の 先まで届く、その瞬間だけ時間が止まったように感じた。
けれど、もう彼はいない。 ある日突然かかってきた一本の電話 から私の耳になだれこんで来た乱暴な言葉が、私から達也を引き 剥がした。 達也の交通事故の知らせだった。
あまりだったというのに、達也がいなくなった日から、私のからだ の中では、細胞がプチプチを音をたてて消滅していくようだった。 悲しくて、達也と行った場所は避けて通った。 公園もレストラン も、二人で聴いた音楽さえも私の生活から消えてなくなった。
ある日、同僚の伊藤先輩が話しかけてきた。「ねぇ、由佳ちゃん、 大通りに新しいカフェが出来たんだけど一緒に行ってみない?」 伊藤先輩は、美味しいものに目がない上に、新しいと聞けば必ず 足を運ぶ。 それにつき合わされるのは初めてのことではない。 ただ、場所が問題だった。 開店したばかりのカフェは、達也と 行った紳士服の店があった場所にできたものだったし、何よりも その大通りは、ギャルソンが弾くヴァイオリンを聴くために、達也 と通ったレストランがある通りなのだ。 少しだけ気が重かった。
久しぶりに見た風景は何一つ変っていなかった。 ただ、その カフェには、ケーキを買い求める人と席を待つ人とが行き交い、 真新しい制服を着た店員の元気な笑顔が、少しだけその場の温度 を上げているような感じがあった。 その時、店の奥に座っている 一人の男の人と目が合った。 達也・・・? よく似ている。
「ね、先輩。 あの人、達也に似てない?」
私は彼から目が離せずにいたが、私達が席に通された時、 彼は席を立ち、なぜか私に会釈をして店を出て行った。 達也に そっくりだった・・・。 でも、どこか違うような気もする。 どこが 違うのか、今店を出て行った彼の顔がどんなだったか、一生懸命 思い出そうとしたが、どうしても思い出すことが出来なかった。
《 続く 》
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