テーマ:地球生命体(577)
カテゴリ:すみれの母の思い
どうして、人間は殺すことにばかり躍起になるんだろう?
自分の子どもを独りで産み落とすことすら、できなくなってしまっているのに? 先日、深夜番組で太平洋戦争のときに日本兵として前線に立った皆さんの体験談を 放送しているのを、父母が見た。 あまりにも衝撃的な証言に、父は沈黙し、母は泣きそうになるのを堪えていた。 その翌日の夜は、他局で、サイパン玉砕から生き延びた民間人の皆さんの体験談が放送された。 「生きて虜囚の辱めを受けず」の教えに振り回され、守るべきいのちを絶っていく方々… 父母は戦争を知らない世代であり、母の両親もまた、戦後生まれである。 知識としてしか知らない戦争について、現実にそれを体験した方の証言を伺うことで 学ぶことは大きい。 日本の過去を、正しく知りたい。 被害者としての悲劇だけでなく、加害者としての真実も。 それにしても、どうして人間は「殺し合うどうぶつ」に進化してしまったのだろう? もちろん、どうぶつは皆、食物を得るためにいのちを奪って生きている。 (草食動物も、植物といういのちを奪って生きている) だが、人間が行う殺戮は、明らかに他のどうぶつとは異質だ。 指導者のかけ声ひとつで戦闘集団が動き、人間同士が殺し合う。 敵を倒すのみならず、ときに自国の民までも犠牲にする。 そして、殺す相手は人間同士だけではない。 私の弟、バーニィとアルは、保健所で処分されるはずだった猫だ。 私すみれも、競走馬として走れなくなり、処分されるはずだった馬だ。 私たちは縁あって今もこうして生きることができたが、今も多くの猫が、二酸化炭素で窒息死し、 多くの馬が、書類上は「競走馬から乗馬に転用」とした上で名前だけ「乗馬クラブ」と してある施設に送られ、そこで畜肉業者に渡される。 もちろん、それは猫や馬だけではない。 飼い馴らされた動物も野生動物も、植物も、人間に「いらない」と判断されたら、殺される。 食べるため、自分の身を守るため…どうしても奪わなくてはならないいのちもある。 それは、もちろん否定しない。 でも、人間はあまりにも多くのいのちを殺しすぎてはいないだろうか。 父母のベッドの横の段ボール箱の中で、妹クリスが仔猫を育てている。 誰にも何も習わなくても、へその緒を切り、体を舐め、乳を飲ませている。 かたや人間は、出産について医師や本、教室などで知識を身につける。 そして、病院の分娩台で子どもを産み、へその緒を切ってもらう。 (もちろん、他の出産のかたちもあるが、現代の日本では大半はこうだろう) 自分の子どもを産み落とす本能まで失ってしまった人間というどうぶつは、この地球で これからどのように生きていくのだろう? 7月4日は、先の戦争で敵同士だったアメリカの独立記念日。 「鬼畜米英」と教えられた戦争当時の日本国民は、アメリカ兵の捕虜になったら 死ぬよりひどい目にあわされると信じていたそうだ。 しかし、先のテレビ番組によると、家族で隠れ住んでいた場所がアメリカ兵に見つかり 死を覚悟した少女が耳にしたのは、アメリカ兵から紙コップに注いだ水をもらって 笑って喜ぶ、妹さんの声だったという。 「鬼」についてはよくわからないが、「畜」という言葉はあんまりなのではないか。 私すみれは、馬という畜産動物だ。 私たちは、人間を、死ぬよりひどい目にあわせたことがあっただろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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