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カテゴリ:芸能・エンタメ
ジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川さんがくも膜下出血で亡くなりました。享年87歳。
「男版の宝塚ともいうべき、男性に特化した唯一無二のアイドルを生み出し続けたエンタメ界の巨星でした」(ジャニーズ事情に詳しいジャーナリストの中村竜太郎氏) 入院中だった都内の病院で9日、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で亡くなったと発表された、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川(本名・喜多川擴=享年87)氏。光GENJIやSMAP、嵐などの人気グループを世に送り出した功績はそのまま戦後の男性アイドル史と重なるといっていい。それはひとえにジャニー氏のタレントを発掘する“千里眼”によるところが大きかった。 「声変わりする前の男の子の写真を見れば大人になった時の顔がわかるそうで、新規にグループをつくるときはメンバー同士の個性が最大限に発揮できるよう組み合わせていました。グループのネーミングセンスもそうですが、天才プロデューサーでした」(テレビ関係者) そんなジャニー氏にも苦しい時代があった。 「最も大変だったのは黎明期、フォーリーブスの頃でしょう」というのはベテランのジャニーズ担当記者だ。こう続ける。 「どんなに売れっ子になっても芸能界は水商売と同じで永遠ではない。人気に陰りが出る前に次を出し続けなければ、事務所としての存続はない。78年のフォーリーブス解散から、たのきんを売り出す80年代初めは本当に事務所の台所事情は苦しかった。たのきんが売れたといっても実際はトリオではなかったし、すぐに解散。シブがき隊、少年隊と次々に売り出しながらも91年にデビューしたSMAPの人気に火が付くまでは試行錯誤でした」 自らハンドルを握り、タレントの送迎や楽器の搬入まで行っていたというジャニー氏。そうした過程で構築したのが「ジャニーズJr.」というタレント予備軍を持ち、入所費用もレッスン代もとらずに育成する研修システムであった。先輩グループのバックダンサーを務めさせながら、人選し、新たなユニットをジャニー氏が生み出していく。それが「売れれば10年は持ちます」と、事務所幹部が胸を張るグループである。 「事実、どのグループ、ユニットであれ、そのなかの一人は必ずスターになっている。ジャニーさんの目利きぶりには恐れ入る」(前出のジャニーズ担当記者) 戦後の芸能界を代表するカリスマがこの世を去った――。 引用 ジャニー喜多川氏死去 戦後の芸能界を代表するカリスマの光と影 - 記事詳細|Infoseekニュース 「男版の宝塚ともいうべき、男性に特化した唯一無二のアイドルを生み出し続けたエンタメ界の巨星でした」(ジャニーズ事情に詳しいジャーナリストの中村竜太郎氏)入院中だった都内の病院で9日、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で亡くなったと発表された、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川(本名・喜多川擴=享… 数々の男性アイドルを育ててスターにして来た、ジャニーさん。独特なキャラクターは所属タレントの間でも有名でしたが、才能を見る目は非常に高かった人だと思います。 ご冥福をお祈り致します。
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最終更新日
2019.07.10 16:19:54
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