会津キリシタン研究所

2013/04/06(土)12:42

伊那谷の風景

信濃の風景(56)

       【伊那谷の風景】 これはキリシタンの研究のために最初に伊那谷を訪れた時に、偶然出会ったお寺の境内で撮った写真です。伊那谷になる低山帯の少し高いところにありました。こうした低山帯の斜面を田圃にするためには、水をどこからか引いてこなければなりません。そうした工事をするエンジニアがいなかったからなのか、この辺りの多くの地域が開墾されたのは戦後のことだとご住職が教えて下さいました。 それでもこのお寺は古いお寺で、墓地には江戸時代の墓石がいくつも残っていましたし、古い石像や石仏も残っていました。そして、このお寺も小さな尾根の裾にあって、墓地は裏にある尾根の斜面に造られていました。田圃を作ることが出来る比較的平坦な土地には、田圃が広がっています。 戦後しばらくの間は、米の配給制度が残っていて、小生が大学生の頃にはまだ、米穀通帳なるものが残っていました。ただし、あの頃にはもう、そうした米穀通帳はその機能をまったく失っていました。そして、米不足が解消されたのと同時に、米余りが始まりました。皆さんはTPPをどのようにお考えでしょうか。「例外なき関税撤廃」がどのような事態を引き起こすかは、テレビ等ではほとんど伝えられていません。 所長と相談した結果、明日からの伊那谷行きは延期しました。伊那谷の高いところはまだ新緑までには時間がありそうです。ただ、木々が緑々としてくると、木立が邪魔になって遠くが見えません。高遠城趾では桜が咲き始めたそうですが、高遠城趾へ行く予定はなかったので、次回上京する時に伊那谷を訪ねようと思っています。

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