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テーマ:信濃の風景(234)
カテゴリ:キリシタン
【伊那谷の風景】 この写真も以前にここでご紹介したことがありますが、とあるお寺の境内から中央アルプスを撮った写真です。小生は中央アルプスの山には登ったことがありません。理由は大したことはありません。伊那谷までの切符を買うとお金が大分必要だったからです。ですから、飯田線に乗ったことがあるのは、親父と亡母方の伯父と3人で豊橋から豊川稲荷へ行った時と友人に誘われて南アルプス北部を縦走した時だけです。 ですから、宝剣岳の千畳敷カールへは、所長と一緒に上がってみたいと思っています。勿論、ロープウェー利用です。それも、千畳敷カールに上がって、展望台から下界を眺めて帰ってくるだけです。いい天気の時であれば、伊那谷がよく見えるだろうと思っています。会津のキリシタンを考える時に、伊那谷の山にいた木地師を考えざるを得ません。また、松山義雄『深山秘録 伊那谷の木地師伝承』を読むと、伊那谷の木地師の中には、何か特別な技能を持った集団がいたのではないかと思われて仕方がありません。 そうした技能集団が保科正之公と共に山形最上経由で会津に入って来ていたとしたら、謎が消えるコトやモノが会津にあります。そして、保科正之公以来の会津藩の対キリシタン政策も理解し易くなります。江戸時代の飢饉の時に、伊那谷で木地師の村から2人の姉妹が小判を2枚持って、里の村へ食料を求めてやってきたという伝承が残っているそうですが、木地師が小判を持っているはずがないという先入観が何かを隠してしまっているように思えるのです。 因みに、秋山郷では、冬期間は女性も家の中で機織りをしていたそうですが、雪が消えると夫と一緒に山仕事に出掛けていたと、秋山牧之の著者に記されています。彼らの中には、一般的な山ノ神信仰はなかったようです。そして、あの「黒駒太子」によって引導を渡すことは、雪のない時期にも行われていたことが記されています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.06 15:58:08
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