2015/01/17(土)12:13
会津の「子安観音」街道
【会津の「子安観音」街道】 前回の聖母マリア像がある村からまたすこし走っていくと、とある村を過ぎた道路脇に上の写真の「子安観音」石仏があります。これがある村は、家数がそれほど多くない村なのですが、三つの宗旨の異なるお寺の檀家になっています。村の方も大変に不思議がっていらっしゃいましたが、会津で宗門人別制度=寺請制度=檀家制度が施行されたのは保科正之公が会津藩主になられてからであろうと考えられますから、この村は宗門人別制度が施行されてから成立した村であるということが十分に考えられます。 そして、上の写真の「子安観音」石仏があるところから少し走っていくと、とある村の入口に下の写真の「子安観音」石仏が道路脇の少し高いところに祀られています。この「子安観音」石仏に最初に出会ったのも1998年でした。その時に村の墓地を訪ねてみたのですが、首の部分から切断された石仏が残っていました。 そして、そこからまた奥の村へと車を走らせたのですが、その村の墓地には、宝篋印塔の名残を遺している五輪塔に出会いました。それ以後、何回かこの道沿いの村々を訪ねているのですが、訪ねる度に不思議な物に出会い続けてきました。 こうしたモノが何故残っているのかということですが、伊那高遠を訪ねて色々なことをお伺いしてきたのですが、それから考えると、この道沿いの村々にこうしたモノが残っていることが不思議ではなくなりました。