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魂の叫び~響け、届け。~

FINAL 楽園の在処

■FINAL PHASE 楽園の在処



そこはプラントでも特に“自然”をテーマに創り上げられていた場所だった。

すべてが人工であるプラントでは、自然を好む傾向が強い。
広々とした湖には水鳥がゆったりと泳ぎ、その岸辺には色とりどりの花が咲き競う。
造られた空から照らされる光も一段と強い輝きを放ち、
見事に人工の“夏”を創り上げていた。


見慣れた金色に気付くと、アスランは静かにエレカを停めた。
一方の待ち人も、すぐ脇に停止したエレカに視線を向ける。

滑るような身のこなしで降り立ったのは、藍色の長身。

「多忙な中、急に呼び出したりして悪かったな」

琥珀色の大きな瞳を済まなさそうに伏せると、金の髪の少女はその足をゆっくりと木陰に進めた。

「いや…。丁度話したいと思っていた所だ」

その後を追うように、アスランもまた木陰に歩を進める。
強い光が木々の緑に遮られ、柔らかなそれに変わる。



「ラクスの所に連絡したんだ。そしたらキラが…いなくて…。
キラは…お前が連れて行った…っ…て、ラクスが…」

「――――ああ…」

「…っ!ならどうして連絡をくれなかった!?
私がどんなにアイツを心配していたか、お前がいちばん良く知ってるだろう!」

金色の髪を乱し、責めるような目を向けてくるのは、キラよりも幾分細い肩。
真っ直ぐに射抜いてくる視線を見返す事が躊躇われ、アスランは視線を彷徨わせた。

「…すまなかった」

意気消沈したアスランのその様子に慌てると、カガリは殊更明るい声を造る。

「例の過激派のメンバーが殺されたって…ニュースで見た。
これでキラの身の安全は保障されたって事だろ?もうオーブに戻って来ても問題無いよな?
そりゃ…家はもう無くなっちゃったけど、何なら私の屋敷に住んだって構わないんだし」

「…カガリ!」

一息に早口で捲くし立てるカガリの言葉を、アスランが唐突に遮る。
カガリはその声音に一瞬びくりと身を竦ませると、自分のそれよりも随分高い位置にある翡翠を仰ぎみた。

ようやく合わさったその視線に真摯な色彩を見、カガリは呪縛されたようにその場に縫いとめられる。

「キラはもうオーブに帰すつもりはない」

「アス…ラ…ン?」

「このまま俺の手元に置く」

乾いた喉は引き攣り、嚥下する事もままならない。
指先から血の気が引いていくような感覚にカガリは微かな眩暈を覚えた。

「な…何で…まだ何か問題でもあるのか?それなら私も協力するから、だから」

「カガリ!!」

必死に尚も言い募ろうとしているカガリを、その名を強く呼ぶ事で再び遮ると
普段は甘いテノールを唸るような呟きに変えた。


「…過激派を始末させたのは俺だ」

絞り出されるようなその声に、カガリは思わず息を呑んだ。

「奴らはキラを惑わせた。俺の前から去ろうとまで決意させたその罪は、万死に値する」

「アス…ラン…お前…?」

「キラの事になると馬鹿みたいに歯止めが利かなくなる。――――俺はそんな男だよ」

翡翠の双眸に昏い光を宿し、口元を歪めるその姿に
カガリは身体の芯が凍えるような錯覚に陥った。


「ずっと…欲していた」

ぽつり、と落とされたアスランの小さな呟きは、独白のようにも聞こえる。

「手に入る訳が無いと、そう自分に必死に言い聞かせながらそれでも諦める事なんて出来なくて…。
――――祈るような気持ちでずっとあいつを見つめて来た。
それがようやく…やっとこの腕に飛び込んで来てくれたんだ!
俺はもう二度と、あいつを…キラを手離したりはしないっ!」

アスランは両脇に下ろされた自らの掌を、拳が白くなる程に握り締める。
苦しげに寄せられた眉根も、伏せられて微かに震える瞼も、彼はとても綺麗だ…。

でも、一体アスランは…何を言っているのだろうか。
その唇から零れる言葉は、上手くカガリの頭に入って来ない。

けれど…告げられたその内容をようやく理解した時、
身体を競り上がってくるのは、自分では止める事が出来ない程の、熱――――。

「そ…んな…それじゃ…私は?私の気持ちはどうなるんだよ!アスラン!!」

カガリはアスランに詰め寄ると、両手でその胸元を掴み、突き飛ばすようにしてその背を木に叩きつけた。

「すまない…」

「私は身代わりだったのか!?そうなのか!!
一度も私自身なんて見てくれた事は無かったのか?!」

頑として視線を合わせてくれる事の無い翡翠は、ますますカガリの熱を上げさせる。
迸る激情をどうしても抑える事が出来ない。
頭の中でガンガンと鳴り響く、――――何か。

心が捩れて悲鳴を上げるその感覚は狂気を孕み、ドス黒い気持ちを更に煽り立てる。


アスランの服を掴んでいた手をゆるゆると解くと、カガリはその手を自らの胸元に差し入れる。
ゆっくりと引き抜かれたその手には、鈍く光る鉛色の金属。

真っ直ぐに向けられる、視線と…銃口。

その鈍い光に軽く目を瞠ると、アスランはようやくその碧を琥珀に合わせた。

「なら何で、何で私を抱いたりしたんだ…っ!!」

血を吐くようなカガリの叫びは、アスランの胸を強く締め付ける。

かつての大戦の中、太陽のような笑顔でいつも自分を叱咤してくれた、彼女。
時には姉のように、時には妹のように、そして時には恋人のように共に過ごした時間は
確かにアスランの中に何かを…もたらしたのだ。

弾けるように金色に輝く彼女を、ここまで追い詰めてしまったのは、自分。


「撃てばいい、…俺はそれだけの事をしたのだから」


低く響くその声は、限りなく優しい音色でカガリの耳をうつ。

いつだって、自分はその声が好きだった。
その優しい声で名前を呼ばれる度、胸は躍った。
その翡翠をふわりと向けられれば、鼓動は速さを増した。

自分にだけ向けられた笑顔に、世界は輝き出した…。



初恋…だった。


「…っ…うっ…く…」

琥珀色の双眸にはみるみる透明な泉が湧き上がり、溢れ出す。
溢れた雫は幾筋も白い頬を滑り落ち、足元に青々と茂る草布を濡らした。

彼がいたから、自分はここまで来る事が出来たと、そう思っている。
彼を心の支えにしていたからこその、“現在(いま)”だと。

何よりも誰よりも傍にいて欲しいと望む人の中に、自分は存在していない。

それは例え様も無い程の――――孤独感。


けれど…。


「私に…お前を撃つことなんて…っ…!!」


カガリがその銃口を自らのこめかみに押し当てるのを、
アスランはスローモーションの映像を見るように、その瞳に映した。

(間に合わない…!)



「カガリっ!!!」






響き渡る、銃声――――――――。




軽い音を立てて、鉛色の金属が草布に落ちる。



「な……?」

琥珀色の瞳を零れんばかりに見開き、微かに震える己の手をゆっくりと見れば
そこに握られていたはずの金属は綺麗に消え失せていた。

呆然とした面持ちで間近にいる藍色の姿を見上げると、
その肩越しに近付いてくる、影。

カガリの視線を追うようにしてアスランが振り返ろうとした瞬間、
自分の横をすり抜けカガリに飛びついたのは、

…ココア色の残像。




「キラ…」

物凄い力で全身を抱きすくめられ、カガリはその温もりの名を口に乗せる。
触れ合った場所からキラの感情が流れてくるような感覚に、カガリは静かに目を閉じた。

「…馬鹿っ!カガリは馬鹿だ…!どうして、こんな…っ」

「…っ…キ…ラ」

痛い位に回されたその腕に、身体の力を抜き、全てを預ける。
真っ直ぐにぶつけられる、その想い。

「キ…ラ…」

「うん…」

「キラ」

「うん」

何度も何度も呼ぶその声に、飽く事なく応えてくれるたった1人の家族。
その存在。


独りじゃ、ない。

「…キラぁっ!!!あああああぁぁぁぁっ!!」

「カガリ…ごめん。ちゃんと話さなくて、ごめん…ね」

声を限りに泣き叫ぶその背中を、キラは何度もゆっくりと撫でる。
かつて彼女が自分にしてくれたように、優しく、優しく、
触れる掌から温もりが少しでも伝わるように、溶かすように、何度も、何度も繰り返す。


「カガリを傷つけたくなかった。こんな風に泣かせたくなかった…哀しませたくなんかなかったの…にっ」

カガリを抱き締める腕を緩める事無く、甘い幼さの残るその声を震わせる。

「僕なんかがアスランの人生を狂わせちゃいけないってずっと思ってた。
離れなくちゃって。でも…出来なかった!…ごめんカガリ!!ごめん…っ」

益々震えるその声に、カガリはそっと己の腕をキラの背に回した。
押し付けた耳からは、キラの鼓動と声が響いて…重なる。


「好き…なんだ…アスランが…好きなんだ」


キラの唇から紡ぎ出されたその声に、カガリは伏せていた顔をゆっくりと持ち上げた。
涙に濡れ、縋るような視線を向けて来る紫玉に軽く肩を竦めると、
カガリはそっ、とキラから身体を離した。

背中に回していた手が、キラの頬に柔らかく添えられ、その指は涙の道を辿る。

「カ…ガリ?」


「もう…いい…。判ってたんだ。私じゃ駄目だって事も、キラがアスランを好きだって事も。
判ってたのに、私は…手に入れたくて必死で…苦しくて、辛くて…。

キラと、同じだ。誰かを好きになればみんな同じだ…きっと」

カガリは再びキラに身体を凭れ掛かるようにして寄り添うと、
深く息を吸い込んで乱れた呼吸を整えた。


「私だって、キラを大切に思う気持ちに嘘は無い。
まだ…笑って話せる自信はないけど…少し、時間をくれ」

キラの腕の中、そう告げる琥珀の瞳は清冽な輝きに溢れていた。


「ありがとう…」







「間一髪、だったなアスラン?」

そんな二人を少し離れた所で見守るようにして立っていた藍色の背中に、
透き通った声が掛けられる。

「イザーク…」

「アカデミー1位の射撃の腕は鈍ってない、ってね?」

アスランはディアッカの言葉に眉を顰めると、
イザークのその白い手に視線を落とし瞠目する。

白く細い指に握られていたのは、まだ微かに硝煙の残る、鉛色の塊。

「これは貸しにしておいてやる」

愉し気に笑んだその顔に、アスランもまた笑みで返す。

「…ああ、了解した」

普段はキラの前以外ではお目に掛かれないその全開の微笑みに、
金と銀の若者は大きくその瞳を開くと、互いの顔を見合わせたまましばし呆然としていた。





     +     +     +







プラントの高級住宅地の一角にあるジュール邸。
美しい母子が住まうその屋敷は、住人を思わせるかのような高貴な佇まいでそこに在る。
その執務室には、忙しそうにモニターに向かう銀色のシルエット。
寄り添うようにして背もたれ近くの窓枠に腰掛け、空を見上げているのは、褐色の体躯。


「なぁ…アイツらしばらくの間は月、だっけ?」

絶え間無く響くタイプ音に気遣う風でも無く、低い張りのある声が投げられる。

「ああ。向こうにはキラの母君がいるらしい」

その手を休める事なく応える声には、作業の邪魔を責めるような響きは無い。

「…それってもしかして“お嬢さんを下さい”ってヤツ~?」

からかいを含むその声音に美しい銀色の眉を寄せると、キーを叩く指を止め肩越しに振り返った。
見慣れた菫色の双眸は、その言葉とは裏腹に暖かい色を映している。

その眼差しに満足すると、再びキーを叩くためにその視線はモニターに戻された。


「さぁな…何にしろ、あの二人には時間が必要だ」



そう、二人を繋ぐ絆をお互いが心から信じられるようになるまで。

頭に浮かぶのは、強すぎる想いゆえに傷つけ合うことしか出来なかった、不器用な恋人達。

――――――じっくり、育てればいい。

つがいの鳥のように、ただただ…寄り添えばいい。


「先の戦争からこっち、無茶ばかりして来たんだ…少しくらい休養が必要だろう。
無茶を重ねれば、身体と同じように心も疲労するからな」

逃げたっていい、逃げて、立ち向かう為の力を蓄える事も必要なのだ。
弱くていいのだ、人は。

痛みを知らない人間が、『強い』だなんて嘘だ。

痛みを知り、傷を抱え、それでも必死に前を向いている人間の方がずっと、強い。
その魂の輝きはずっと、綺麗だ。



「アイツら元気でやってっかなぁ~」

相棒のその声に、イザークはアイスブルーの瞳を窓の外へ向ける。
プラントの人工壁の向こう、漆黒の宇宙に浮かぶのは黄金色に輝く衛星。


「ああ…きっとな」



祈るように、届くように囁かれたその声は、夜空に溶けるようにして吸い込まれていった。











そこは一面の春色。
少し強めの風が吹きつけるたび、薄紅色の花びらが空から降る…。

深海色の髪にも、ココア色の髪にも、休む事無くその小さな丸い花弁は降り積もる。


「ねぇ…ここが何処だか覚えてる?」

少し先を歩くココア色の髪がくるりと振り返る。
試すような色を溶かしたその瞳は、透き通るアメシスト。

「ああ…“約束の場所”だ」

そう言うと、華奢な細い肩にとまる緑色のロボット鳥を自らの指に乗せる。
作り主の指にひらりと飛び乗った愛鳥に目を細めると、キラはその緑の背をそっと撫でた。

「あの時のアスラン、可愛かったな」

「ええっ?!かわ…って、えぇ?!」

驚きに翡翠を見開いて紫玉を覗き込むと、いたずらに煌く視線で返される。

「…っキラ!…全く、ヒトの反応、楽しんでるだろ?」

最愛の存在である目前の相手にふんわりと微笑まれ、アスランは早くも白旗をあげる。
いつだってこうして闘わずして降参するはめになるのだ。

“からかった罰”
とばかりに、アスランはキラの腕を引き、自分の腕に囲い込むようにして抱き締める。
柔らかい髪が互いの頬をくすぐる感触にうっとりと目を閉じた。

『トリィ…トリィ……』

作り主の指に遊んでいた緑色は、ふわりと羽根を広げて空へ舞い上がる。


「…アスラン」

「ん?」

「名前、呼んで?」

「名前?」

幼さの残る甘い声に懇願する響きを滲ませて囁くのは、唯一無二の宝石。

「僕の名前…キラって、呼んで?」


「…キラ」

抱く腕に、力が篭もる。
ぎゅっと音が聞こえそうな程に抱き締められて、キラは満足そうな嘆息を漏らす。

「もっと…」

引き締まった体躯に細い腕をそっと回し、キラは尚も蕩けるような声でねだる。

「キラ…!」

いつだって心を掴み、揺さぶるのは、僕を呼ぶ声――――――。




淡い薄紅色の花吹雪の中、遠く近く、ゆっくりと旋回する緑色の翼。


「綺麗……」

腕の中の甘い身体は、その瞳を夢見るように揺らしながら、温もりを預けてくる。

「ああ…綺麗だ」

アスランもまた、その淡い色彩を見上げて目を細める。

「“楽園”って、こんな感じなのかな?」

「キラさえ傍にいてくれるなら、俺にとっては何処だって楽園だよ」



お前がいれば、そこは楽園。


くすり、と笑む声に視線を向ければ、相手のそれと柔らかく絡まる。

吸い込まれるようにしてひとつ、ふたつ、瞼に唇を落とす。
触れるか触れないかの淡い口付けは、キラの心の奥深い場所を震わせる。



キミがいる場所が、僕の楽園。



「――――――――そうだね…」




耳を澄ませばいつでも聴こえる。

…僕を呼ぶ声。





楽園はいつも、すぐ傍に在る。






2005/06/07  「The Garden of Eden」 了。




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