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ラクマに挑戦&日々思ったこと

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2021年12月14日
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カテゴリ:気分しだい
2021-12-14 忠臣蔵 彦根藩 「薬」として扱われていた牛肉
https://toyokeizai.net/articles/-/476086
日本人の胸打つ「忠臣蔵」討ち入り支えた禁断食材 元禄15年12月14日に赤穂浪士が吉良邸を襲撃
生類憐みの令の例外もあった。
https://www.oumi-usi.co.jp/about/history.html





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歴史と毛利志満のルーツは、二人の兄弟によるフロンティア精神から始まっています。
明治12年、まだ日本人があまり肉食を常用していなかった時代に、滋賀県竜王町山之上出身の竹中久次・森嶋留蔵兄弟が、東京浅草に牛肉卸小売と牛鍋専門店「米久」を開業しました。
これが爆発的にヒットし、数年で26店舗を構えるまでに成長。
「往来、絶えざる浅草通り。御蔵前の定舗の名も高旗の牛肉鍋」と歌われ、高村光太郎により『米久の晩餐』として詩にとりあげられるなど、近江の牛鍋は一世を風靡しました。
その後、米久は昭和の統制経済の影響を受け、存続を絶たれましたが、近江牛の名声を不動のものにした功績は大きかったといえます。
当時は、生きたままの牛の運搬は大仕事であり、牛を追う旅の途中で盗賊に遭うこともありました。それを救ってくれたのが清水次郎長で、以来親交が続いたという逸話も伝えられています。
毛利志満は、先人である、この久次・留蔵兄弟の熱い
​意志を受け継ぎ、今日まで近江の食文化の発展に努めてまいりました。
※​なんで滋賀県でと思っていたけど 
これで繋がりました。
江戸時代より 牛の飼育の技術があったですね。
冷静沈着な祖父が「牛鍋!牛鍋!」と いつも自慢げに言っていたことを
思いだします。






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最終更新日  2021年12月14日 15時02分35秒
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