カテゴリ:歴史の話題、ミステリー
よくある、教科書記述。
『織田軍は、当時最強の騎馬隊を誇る武田軍に対し、3000丁の火縄銃を「3段構え」で連射して粉砕した…。』 しかし、武田軍の騎馬隊というのは、「蒙古襲来」の元軍と異なり、騎馬で戦う部隊ではない。単に、騎馬武者が先頭をとるだけで、槍や弓をもった兵士が走ってついていった部隊である。 ちなみに、時代劇ではサラブレッドのような馬が登場するが、実際の国産馬というのは、あんなにでかくない。 いくら信玄にくらべて戦術に劣る勝頼といえど、こんな部隊で鉄砲の並ぶ「馬防柵」に突っ込んでいくアホはいない。離れたところで弓矢で攻めるわな…。柵のないところまで回って本隊を攻めてもいい。川中島の戦いでは、山を登って上杉軍の背後を突こうとした実績もある。 ちなみに、 3000丁を3つに分けて、1000丁ずつ1m間隔で並べたら、1kmに渡って銃口が並ぶ。中央で「撃て!」と号令をかけても端まで届かない。(先日のTV番組で、発声の訓練をしてる劇団員の声が届くのが500mだった。それも静かな田舎道でのことである) 結局「3段撃ち」などという高度なテクニックは使えず、バラバラに発砲するしかない。(射手によって、弾こめにかかる時間が違うから、全員揃って撃つよりマイペースで撃ったほうがたくさん撃てる) 本当に1000発の弾丸が次々に撃ち込まれたら、あっという間に合戦は終わってしまうが、実際は武田軍敗走が午後3時頃。あの「天下分け目」の関が原の戦いで、小早川の寝返りの末に決着がつくのとほとんど同じぐらいの戦闘時間がかかっている。つまり、そんな一方的な戦いではない、ということである。 そもそも、織田軍が本当に3000丁の銃を持っていたなら、他の戦いになぜ登場しない? 鉄砲が戦争の歴史を変えたのは、弓矢や槍のような高度な訓練をしなくても、銃を構えて撃てば敵を倒せる、という特徴から。(「鍛えられた弓矢」のほうが、当時の螺旋を切ってない鉛ダマより命中率は高いはず) 「3000丁の鉄砲」は、織田軍の「誇大宣伝」に違いない。(当時はJAROが存在しない。)噂を流して、毛利などにプレッシャーを与えるだけで「戦力」になる。 負けた側の武田の記録は残らない、というのを差し引いて考えなければ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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