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カテゴリ:テレビ番組
それでこれは前回のつづきということになるのだけれども、この余計になってしまった二回分の使い方というものに関して言うのであれば、このドラマはやはりあまり良い使い方というものはされていなかったと思う。それについては後で述べる。 廃屋で自分の体を縄でがんじがらめにしてダイナマイト爆破で自殺を図ろうとする風太郎の脳裏に、走馬灯のようにして過去の想い出が次々に蘇る。 しかし、風太郎の記憶の中で、掛け違いというものが是正された、本当だったらこうであってほしかったというような架空のストーリーとして蘇ってしまう。最後には、風太郎はその自分の甘さというか自分の望んだ幸福な人生、幸福な世界というものにいたたまれなくなり、大声で「死にたくない!誰か助けてくれ!」と喚き散らしながらも望み通りにこの世から消えてしまうのである。 こういう展開、自分は好きだし、悪くはないと思う。「まるでエヴァの最終回」みたいな酷評もあるけれども。 それでも自分が残念だったのはやはり最後の最後だった。マツケン=風太郎=このドラマスタッフからのメッセージとして視聴者に向かって、風太郎が「自分が死んでも自分のような人間はこれからも生まれつづける」というようなことを言葉として、ナマなメッセージとして発してしまうのである。 これはいらなかったと思う。見せられたこっちとしては「そんなことをいわれなくてもわかってまんがな」というような反発を抱いてしまった。 たとえば、たったひとり三国家で生き延びたミドリ(ミムラ)と伊豆屋を出会わせることで伊豆屋の借金の問題を解決させるとかして、(まあそこには風太郎瓜二つの長男がいるわけだが)生き延びた皆達皆が引き寄せられるようにして集まり、風太郎自身も望まなかった形で風太郎がこの世からは消えていなくなったことを確認しながら生きてゆく…、というような余韻のあるエンディングの方法もあったのではないか。 というように、いろいろと考えさせてくれたドラマではあったということだ。 自分はこういう感じのつくり手のメッセージというものが強く押し出されたドラマは嫌いではないし、そのメッセージというものに共感ができればそれでいいというようなところもある。 特に最近は「このドラマはなんのためにあるのだろうか」と悩むようなものばかりが溢れかえってる民放のドラマ(スポンサーのためにもなってないようなという意味も含めて)の中ではこの『銭ゲバ』の果たした役割は大きいのではないだろうかとも思っているし評価もしている。 なんにしてもこんなドロドロとした内容のドラマのスポンサーを最後まで我慢してくれたコカコーラに対しては感謝したいくらい。 72本まで送料同じ!! コカ・コーラ (輸入) 330ml 1本 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年03月18日 03時55分14秒
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