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カテゴリ:テレビ番組
映画「山形スクリーム」「神童」のときに書きそびれた。
自分は成海璃子という女優のことを高く評価していた時期があった。じゃ今は高くは評価していないのかというとそういうわけでもない。 なんていうのか、いつのころからか成海璃子は自分の能力の高いところをひたすら隠すような女優ぶりを見せるところが目につくようになり、言葉は悪いが「こっちも評価するのを放棄した」そんな感じだ。 まあ自分の周囲にはこの年代の女優たちを並べて「誰が将来伸びるか」とかそういう一種の「育成ゲーム」のような感覚でもって彼女達の活躍を楽しみにしている人がいるのだが、自分はそういうのは正直嫌いである。 もう少し同情的かつ冷酷な言い方でいうのならば、「彼女たちにはいつでも女優を放棄する権利」ぐらいはあるだろうという見方をしているからだ。 映画「書道ガールズ」のプロモーションのためにと主演の成海璃子が日本テレビの各番組に朝から連日の出ずっぱりである。 こういうやり方ってのは、要するに、「映画の独自性」というものを製作したテレビ局が認めていないということだろうと思う。 映画の宣伝のためにとはいえ、映画に主演したというだけで「むしろ隠したほうがいいような部分までもさらけ出さなければならなくなる」のを見るのはこちらもつらかった。 にしても成海璃子について驚いたのは先週の「メレンゲの気持ち」に出演したときに自分のCDラックの中にぎっしりと詰まっていた60年代からの日本のロック、しかも相当にアンダーグラウンドなバンドのCDを取り出してみせていたことだった。 まあナゴムレコード(有頂天とか筋肉少女帯)ぐらいなら、まだオシャレとしてわかりますが。 「はっぴいえんど」ならまだわかる。しかし「村八分」とか「外道」とか、おそらくは彼女の父親だって同時代には聞いてはいないだろう。 そういえば思い出すことはある。 自分もまたそういう古いバンドの復刻CD目当てにタワー(この場合は東京タワー)やキャプテントリップというレーベルのCDを置いている店に通い詰めていたころがあった。 自分の場合は、当時買いそびれたそういうLPレコードを、この際CDで買っておこうという、どちらかという「老齢レベンジャー」としての購買である。ある意味正統な購買客である。 ところがタワー(繰り返すが東京タワーのことだ)でもそうだったし下北沢のディスクなんとかでもそうだったのだが、新宿・池袋・渋谷・上野のHMVや(元祖)タワーレコードで見かけるような普通の女子高生の年代の女の子たちか60年代日本のロックやジャーマンプログレのCDを普通に選び買いしているのをよく見かけた。 こういうのは実はうれしいというよりもむしろどこか恥ずかしい。恥ずかしいというのもアレな表現だが。 なんていうのか「あーコラコラお嬢さん、そういう音楽を好きで聴いていることはむしろ隠しておきなさいよ」みたいな余計なおせっかいの感情が湧いてくるのだ。 はっきり言うとだ、おしなべて「60年代の日本のロック」というもの、同世代の皆はどう感じてどう評価しているのかはよくわからないが、半分の当事者として自分は「壮大な大失敗」という位置づけをしている。 というか、そういう位置づけでないと音楽そのもののクオリティと当時の世間での評価はつりがあわないからだ。 そういうどこかひしゃげた感情でないとこれらの音楽とはまともに向き合えない自分である。 たかだか17かそこらの女の子が自分の部屋のCD棚からなんの屈託もなくそういった「負の感情がぎっしりとつまったようなCD」を引っ張り出すのを見ると、「璃子、およしなさい」みたいな、まるで親戚の伯父みたいな感情にとらわれるし、彼女が女優としての高い資質の部分をむしろかくすような演技ばかりをしていることの、その謎を解くヒントみたいなものは得ることは出来た感じはするが。 でも果たして「書道ガールズ」という映画のプロモーションにはなっているのかというと、全然なってはいないような気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年05月20日 14時30分13秒
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