|
カテゴリ:真田fanの日々
最終巻に1ヶ月かかってしまいました…。
西上の途上に遂に果てた信玄、その見果てぬ夢や病に倒れた無念さが、抑えられた筆致から立ち昇ってくるようでした。 こうして読んでいると、家康や信長が憎らしく思えてくるから不思議ですね。 もともと戦国大名に特に好き嫌いはなかった(というより興味がなかった^^;)ハズなんですが。 ホントに、信玄が生きていたら、歴史はどんなことになってたんだろう。 家康が信玄に討たれていたらどうなったのかって、何度も思いましたよ。 三方ヶ原の戦いは読み応えがありました~。 これまで見たり読んだりしたものでは、自国の領内をのうのうと通過させては武辺の名折れと家康が負け戦覚悟で討って出たとありましたけど、この本ではそれを主張したのは配下の武将たちで、家康自身は桶狭間での信長に自分を重ねたりしていました。 そんな武将たちの心理面に加えて、武田軍・徳川軍の駆け引きがスゴイ。 裏や裏の裏をかくのと駆け引きとは違う、駆け引きとは時間をいかに上手に利用するかだと説いた馬場美濃守の言葉には、川中島での献策があっただけに説得力がありました。 三方ヶ原の戦いについて書かれた史書は非常に少ないそうですね。 歴史とは勝者によって作られ、残されるものですもんね…。 で。この巻でうれしかったのは、昌幸公の出番・活躍が多かったこと♪ 奥近習のなかで信玄に特に目をかけられたうちの一人という扱いでした。 本願寺との縁談交渉や北畠水軍との交渉に伊勢長島に出向き、京へまわって信長の叡山焼討ちをかいくぐって天台座主を助け出し、堺へまわって鉄砲工場を見てまわったり。 後半では軍議でも意見を求められ、堂々と献策したりしていました。 昌幸公と信玄が相対する場面では、幸隆様のお名前も出てきたりして、それがまたうれしい。 信玄のセリフや独白で、 「そちの父の幸隆の若いころは、よく単身で敵地に乗りこんで手柄を樹てたものだ」 「この昌幸という男は父の幸隆以上の大物になるぞと思った。真田幸隆が居なかったら、信濃平定は不可能だったかもしれない。それほど真田幸隆の存在は武田の陣営において重要だった」 などと語られてました。 それならもっと本編で登場させてくれたらいいのに… なんて望んでも詮無いことです^^; ただ、昌幸公は最後まで真田喜兵衛昌幸となっており、武藤喜兵衛の名は出ませんでした。 本筋に影響しない細かいことは省いたのか、”真田”の氏を使った方がウケがいいと思ったのか… 真田ファンのはしくれとしては、多少ひっかかりの感じるところではありました。 些細なことですが。 「はすっぱ」という、品行のよくない女性に使われる形容詞は、もとは比叡山の堕落した僧たちによって作り出され、坂本だけで通用していた言葉らしい。 (蓮の葉=普通の遊女、蓮の花=高級な友情、蓮の蕾=まだ客をとっていない・客を取り出して日の浅い遊女) へええ。ちょっとしたトリビアでした。 そんなわけで、ようやく読み終えたわけですが、充実の読後感でございました。 百ヶ月間の長きにわたって、緊張感を持続したまま信玄の生涯を描ききった新田次郎は、やっぱり素晴らしいと思います。 次は、新田次郎の武田関連の短編集を1冊買ってあるので、引き続きそれを読もうと思います。 (真田家の登場は期待できませんが…^^;) ↓加盟中! ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[真田fanの日々] カテゴリの最新記事
|