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偏屈老人独言

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2022.06.08
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カテゴリ:カテゴリ未分類
フジテレビ系列で1965年5月1日から1982年3月31日までの略々17年間放送された朝のワイドショー、小川宏ショーへの出演記、といっても愚生ではなく、亡妻の出演記とその折の写真です。
勤めていた会社の合併で、本社が大阪から東京に移り、10年振りに東京へ帰って来て直ぐのことですから、亡妻は多分32、3歳くらいだったでしょうか。内容は、所謂ご対面番組で、著名人に何十年振りかで会い、その著名人が相手を覚えているかを試し、また昔話に花を咲かせるというあれです。
家内が番組でお会いしたのは、楽壇、特にピアノ界の大御所的存在になっているN・H女史で、後には太ってしまって見る影もなくなりましたが、その頃は美人の誉れ高かった方です。何でも子供の頃、ご近所同士だったとか。
会うなり、「まあ、アッコちゃん」「ヒロコちゃん、お久し振り」と話が弾んだようですが、その内、家内がうっかり、その頃このN・H女史の家にピアノがなく、家内の所の古ピアノで練習していたことに触れると、途端に機嫌が悪くなってしまったというのです。恐らく家にピアノがなかったということを知られるのが、プライドの高い女史には耐えられなかったのでしょう。
この話を聞いて思いました。終戦直後の物のない時代には、ピアノがないのが当たり前、偶々亡妻の家に戦前からの壊れかけのボロピアノがあったというだけのことです。どの家庭も困窮状態は同じようなものですから、それを恥ずかしがったりする必要はなく、ましてプライドが傷つくような話でもありません。それなのにどうしてそんなことを気にするのだろう、ということです。
偏屈でおバカな愚生、これ以降は、女史のピアノ演奏は、それがどんなに立派なものであっても余り聴きたくなくなってしまいました。ヤレヤレです。
(N・H女史は、2016年7月26日に亡くなられました。謹んでご冥福をお祈り致します。)
2人、立っている人の画像のようです





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Last updated  2022.06.08 02:56:39
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