|
テーマ:心にのこる出来事(94)
カテゴリ:冒険少年の憂鬱
ギャラ
高校を卒業して、大学に行くまでの4年間、進学も就職もしなかった。今で言うフリーター(この表現も陳腐化しきましたが)の様な暮らしをしていた時期があります。モラトリアム時代のエピソードの1つです。 高校の頃から出入りしていた喫茶店の常連で、京都のある大きな劇場で働いている人がいて、その人からバイトを世話してもらったのが話の始まりです。 それは、旅巡業のバイトでした。仕事内容は、芝居の小道具係です。確か10月からの巡業だったんですが、同じ芝居を8月いっぱいして、そのまま巡業に入ると言うので、9月から働き出したのです。 1カ月働いて、一通り仕事も覚え、巡業の為の契約に大阪の本社まで出向いたのです。 本社まで行って契約してこいと言われたのですが、バイトさえ殆どしたことがなかったし、ましてや契約などと本格的な交渉事を1人でするなんて初めてのことです。 大阪まで出向き、緊張でドキドキしながら、担当の方の前に座りました。色々質問をされましたが、殆ど覚えていません。 「で、いくら欲しい?」 単刀直入すぎて、面食らっていると 「どれぐらい、欲しいと思ってるか言ってみてください」 ーそ、そんなこと言われても、普通のバイトと違うし・・・ 色々頭の中で考えました、宿泊費、食費、交通費は、会社持ちだし、だけど24時間拘束みたいなものだし、、、、 「15万円ぐらいでどうでしょうか?」 「それだけで、いいの?」 「えっ、、、、はい」 「じゃ、この書類を持って、これから経理に行ってください、済んだら帰ってもらっていいですよ。がんばって働いてくださいね」 「ありがとう、ございます、が、がんばります」 と、こんな感じであっさりと事は運んだんだけど、「それだけで、いいの?」って言われた事が、どうも引っかかって頭から離れない。もっと貰えたってこと?その真意は未だに分からないが、とにかく経理に行って、ギャラの半額をもらって帰った。 半額もらえたことも驚きだった。 「半分いただけるのですか」 「旅の準備にいるでしょ」 と、経理のお姉さんは、にこやかに笑いながら、お金の入った封筒を渡してくれた。 アルバイトのバイト料を自分で決めるなんて、未だかつて、と言うかそれ以降も、その時だけだった。もっと貰えたかも知れないと言う思いも有ったが、自分で決めたことだし、納得するしかないわけで、自分で決めたことが直接自分に跳ね返ってくると言う経験として、すごくリアルなものだった。 怪我で入院していて、高校の修学旅行にいけなかったから、九州に行ける、しかもお金をもらっていけるって言う、軽い気持ちで引き受けたバイトだったけど、現実と言うには特殊な世界への入口だったことは、19歳のボクにとって強烈な印象を残している。 1ヶ月の巡業の旅が、どんなモノなのか不安と期待を抱きながら、旅の準備をしたのが、つい昨日の事のように思い出される。 甘く危険な香りがする、旅の予感だった。 徒然に、つづく、、、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[冒険少年の憂鬱] カテゴリの最新記事
|
|