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2015.07.21
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カテゴリ:ニュース



一部メディアが、加害者家族を苦しめている

加害者家族のプライバシーも保護されるべき



前々回の『絶歌』元少年Aの犯罪、原因は母親にあった?は、多くの人に読んでいただきました。Aの身近にいた人にできたであろうことを、後付けで考えたものでしたが、私の力不足から、加害者の両親だけを批判しているように解釈された方がおられ、深く反省しています。

一般的に、凶悪犯罪加害者の家庭には、「死んで詫びろ」「殺人鬼の製造者」などと、あおりや差別発言で中傷する手紙や電話が殺到するそうですが、多くの場合でこれは不当です。ある日突然、犯罪加害者の家族になって動転し、針のむしろに座らされた人たちに執拗に追い打ちをかけるのは、人としてとても恥ずべき行為です。彼らは、被害者以外の第三者から何と非難され誹謗中傷されようと、反論できない立場にあるのです。

親が思うように子が育つのであれば、世の中は湯川秀樹博士やビル・ゲイツだらけになります。ネグレクトされて育った子どもさんが立派に育ったり、親が手塩にかけて育てた子どもが犯罪者になったりするのが現実です。犯罪に至る原因には、いくつもの要素や不運が重なるわけで、加害者家族を責める資格は誰にもありません。

自殺に追い込まれる家族

2014年7月の佐世保女子高生殺人事件でも、加害者の父親が自殺に追い込まれました。加害者の女子高生は、心に障害を持っていました。親は一緒に精神科に通い、入院治療を希望しましたが実現せず、「放置すれば人を殺す可能性がある」という精神科からの通報は、児童相談所の幹部に揉み消されていました。事件発生当初、加害少女の父親は「生きていてよいのでしょうか」と言っておられたそうです。生きて、被害者への償いと少女の更生に寄り添う決意をしておられたそうですが、プライバシーに関してあることないことを書かれたことが、彼を自殺に追い込んだようでした。

加害者家族を、第三者が死に追いやるほど非難するのは、筋違いです。「死んでお詫びした」か「あの世へ逃げた」加害者の父親を非難することは簡単ですが、言葉の暴力で死に追い込んだ(もちろん、それだけが原因ではないかもしれませんが)人たちが、何の問題にもされないのは明らかにおかしいことです。

筆者はかねがね、「国民の知る権利」の名の下に、犯罪加害者の家族のプライバシーまで暴く週刊誌に怒りを覚えてきました。書かれた側が「死やそれに近い状況」に追いやられる記事が後を絶ちませんが、ほとんどの場合、書いた週刊誌は何の罪にも問われません。ネットでの匿名のあおりや脅しは、それ以前の卑劣な行為で、私は非難する価値も認めないほど軽蔑しています。このような方たちは、加害者の家族に「死んで詫びてもらって満足」しているのでしょうか、それとも将来を奪って溜飲を下げた気分なのでしょうか。

1989年の宮崎勤の幼女殺害事件では、執拗なメディア取材を受ける宮崎勤の家族に、「お前たちも死ね」「殺してやる」という憎悪に満ちた手紙が、段ボール箱一杯ほど届いたそうです(鈴木伸元『加害者家族』より)。宮崎勤は、手首に特殊な障害を持って生まれました。それがイジメられる原因になったり、彼が殻に閉じこもる遠因になったと言われていますし、彼は発達障害と診断されています(この病名の人は罪を犯しやすいとか、犯行を正当化していませんので、念のため)。しかしこの病気や障害は親の責任ではありません。

犯罪者とその親族は、当然、分けて考えられるべきですが、往々にして加害者の家族も被害者になります。宮崎勤の父親は家を売り払って被害者への賠償金とし、川に飛び込んで自殺しました。この一族の場合、父親から見て長女・次女、父親の弟たちとその子ども、母親からみてその兄の子どもたちが、皆、職を辞したり結婚を破断にしたりしています。執拗なメディアの追いかけ取材が原因でした。

犯罪加害者と家族は別だという考えが、私たちの社会の常識として、メディアも含めてもっと徹底されるべきではないでしょうか。

元少年A宅と私の家は紙一重

私は元少年A(以下A)のご両親のような立場の人に、後ろから石を投げるような言動は、毛頭持ち合わせていません。先のコラムでは、「死んでお詫びする勇気もない私たちをお許しください」という両親の手記からの言葉を、最初に紹介しました。Aのご両親は被害者の方たちとも、Aとその弟たちとも正面から向き合い、贖罪(しょくざい)の日々を過ごしていくほうを選択されたことを、紹介したかったからでした。

そして私がいちばん筆足らずだったと反省する点は、Aは特殊な心の病気だったのに、その母親のせいで愛情不足を感じて暴走が始まり、また母親にAの暴走を止めることができたはずだとの印象を与えかねない書き方だったことです。私など、子どもたちにもっとひどい体罰を加えたことは数えきれませんし、いつもイライラしていた点では、誰にも負けないほどです。にもかかわらず、我が家では誰もそのような“こころの病気”にかかっていませんでしたので、母親のAへの態度だけが犯罪の遠因になったとは思っていません。

私は十数年前、このご両親の手記を読んだとき、到底凶悪犯罪を起こすような荒れた家庭ではない普通の家庭像だっただけに、Aの両親に同情しました。これらの状況は、今後も少年Aのような事件が、どこの家庭にも起こり得る問題であることを、示唆しています。

 

そんな中、あえてAを止める機会があったとすれば、どの地点かを振り返り、盲目的に子どもを信じず、子どもの異変に気付く義務があることや、「愛情を注ぐこととそれが伝わっているかは別である」という点を教訓として共有することに意味があると思い、執筆しました。

Aの親子の手記を読み比べてみて、いちばん教訓として感じたことは、無償の愛で育てた親の思いが、子どもに伝わっていなかったということでした。Aは“愛情不足”だったと、専門家によって結論づけられています。Aのご両親の大きな愛は、どこで“消えて”いたのでしょう。Aは特殊な精神の病を抱えていましたが、それを別にしても親なればこそ厳しすぎたり、盲目になったりするのは多くの親がすることです。

子どもを信じることすら、子どもによっては拒絶されます。Aは最初の取り調べを受けているとき、逃げられない証拠をつきつけられて、もう終わりだと観念しても、「母親には何と説明すればいいだろう?(中略)母親はきっと僕のウソを鵜呑みにして、また僕を全面的に信じるだろう。僕にはそれが耐えられなかった」と回想しています。

「愛したが伝わっていなかった、信じすぎてもダメ、家族の存在も犯行の抑止力にならなかった」。これはどの家庭でも起こりえる状況なだけに、はたして親としての愛情が愛情として子どもに認識されているのか、また小さな異変でも親が敏感に察知できているのかを問い直すことが重要なのだと思います。

「絶歌」の内容は極めて残念

ここまではAが少年であったことから、親の責任が取りざたされましたが、今問題なのは「少年A」がすでに「中年A」になり心の病気も治ったとされる中で、「絶歌」が出版され多くの人を苦しめている点です。

私は、「絶歌」は全体的に読み手を失望させる駄作だと思います。日々、被害者とその遺族、そして迷惑をかけている自分の家族への謝罪と贖罪の日々を過ごしているものと想像していましたので、内容は極めて残念なものでした。

被害者遺族や自分の家族への贖罪意識は、部分的・瞬間的には本心だったとしても、継続性・一貫性はないに等しいです。Aの手記には“軽い反省の弁“がつづられていますが、猟奇的な部分や出所後の生活をあれほど詳細に書けるAだけに、その取ってつけたような淡白な”謝罪意識“が浮いて見えます。Aの“謝罪”には行動が伴っていません。

これほどまで困難な道に追いやっている両親と、10年以上も連絡を絶ち心配させています。親の心情を思うなら、これはできることではありません。そして厳然たる事実は、被害者家族を無視して出版に踏み切ったこと、および遺族側から出された出版撤回の要望に対し、5万部増刷という形で答えたことです。

 

内容も的外れです。医療少年院での「更生」の過程はすっぽりと省略され、その前後が詳しく記載されているなど、教訓的なことは何も伝わってきません。出所後に転々とする生活が、詳細ないし冗長に書かれていますが、内容に乏しく、そこに一端の小説家を気取った人物描写や状況描写が、あたかも自分を村上春樹氏の小説の主人公と錯覚しているのでは、という文体で長々と続きます。

Aに文才があるなどと評価する人がいるようです。「村上春樹氏のまねをしてうまい表現できるところをアピールしたい」という気持ちが強く伝わってくる文体ですが、本質を覆い隠すための文章という気がします。借り物じみた表現が多く、見せかけの文才はありますが、本当の文才はありません。

しかし今後、Aを利用して続編を書かせたり、映像化して儲けようと企む者が出るかもしれません。最近、猫の猟奇殺害事件がまたありましたが、模倣犯が出る可能性が大きいと感じます。現在、「サムの息子法」が話題になっていますが、日本でも「淳くん・彩花さん法」で、凶悪事件犯罪被害者遺族の同意なき加害者による手記の出版禁止、出版社および著者の利益が被害者家族に全額支払われる規定がなされなければなりません。

そしてもうひとつ、この凶悪殺人事件をめぐる法律に付け加えたいのが、冒頭で触れた「加害者家族の権利保護」です。

加害者家族のプライバシーも保護されるべき

2008年の秋葉原事件の犯人・加藤智大の弟が、事件の6年後の2014年に自殺しました。マスコミがしつこく嗅ぎつけて、職を転々としていたそうです。そんな中、彼にも彼女ができました。素性を明かしたところ、彼女の親から反対されました。何かでカッとなったとき、彼女に「あなたの一族全体が異常だ」と言われたそうです。6年も経っているのに、これからもずっと犯人の弟として生きる重圧に絶望したのかもしれません。「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」という言葉を残しました。

もちろん被害者の遺族の苦しみは計り知れませんし、そのプライバシーが侵害されているのも問題です。同時に加害者の兄弟や親戚まで追いつめる「取材」にも、憤りを覚えます。

加害者とその家族は別だという社会的な合意が徹底され、加害者家族のプライバシーも保護されるのは当然だという社会になることを願ってやみません。皆様は、どのように考えられますか。

 

[東洋経済http://toyokeizai.net/articles/-/75872]





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Last updated  2015.08.01 19:43:04
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