カテゴリ:屁理屈
人を笑わせる人って、子供の頃から(たぶん)次に何を言って笑わせようかなって考えているらしい。学生の時、すごくオモシロい友達がいて、その子に尋ねたことがある。「なんでそうオモシロいコトできるの?」そしたら、「いつも考えてるもん。」と言った。子供の頃から、人を笑わせようとする思考回路がだんだん拡張されて特に考えなくてもわらわせるようになってくる。 ウソをつく、ホントにたわいもないコトでもウソをついて、なんかうまくいったりする。子供の頃からずっとそれをつづけると、頭の中で特にウソをつこうと思わなくても他人を誤摩化せる考え方の習慣がついたりする。(本人はそれをウソだと思っていないトコロがちょっと恐い) 職業、運動、コンピューターを扱う、絵を書く、英会話、編み物、具体的に目に見えることなら、他人のコトは理解出来る(それらのうち一つでも習得するには他人にはわかりにくい考え方が形成されるとは思うけど)。けど、モノの考え方や考え方の習慣は毎日の積み重ねでかなり違ってくるコトを久々に思い出した。 私は人をわら笑わせようと考えた時期もあったけど、私の思考習慣に「人を笑わせるコトを考える」もないし、「ウソをつく」のもない。 考え方って数知れないくらい存在していると思う。職業に影響される考え方、趣味など、自分の回りの何もかもがモノの考え方に影響する。わたしの思考回路にないモノの考え方は私にはたぶん出来ないし思いつけない。計り知れない考え方が存在するなか、自分の思考はホントにちっぽけな範囲で行われていて、それがすべてでないコトを時折思い出さないといけないな、と思った次第。 疑うことを知らない私はかなり幸せ者かもしれない。適当に誤摩化されても真に受けている自分が可哀想でもあり、幸せでもあり・・・ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 雑感:言葉を知らなすぎに閉口する。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 22, 2007 05:23:06 AM
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