カテゴリ:屁理屈
ここずっと、これに気がとらわれて仕方がない。 これがあれば、これさえあれば、生きていける。 お金があれば問題ないってワケでもないけど、ま、ほぼ、お金があればかなり問題ないかも、生きている理由から目を背けられる・・・一過性ではあるけれど。 (幸せはお金でかえないとか、お金で物事計れないとか、百も承知なので、そういった正義感にあふれた、偽善めいたことは言わない。) 一過性のモノが集まって人生が成り立っていることも確か。 自分が生きていく為に必要なもの、そんなものが一つあれば生きていける。自分が能動的に必要としているもの、これ、大切だなぁ、これがあると、生きていることに目的が生まれる。それが消えるものであるとしても、必要だ、と思えるモノ、コト、人。 ちょっと暇なのよね、暇だと、こーなる。 なぜ私は今しているコトひとつひとつに価値を見いだせないんだろ。何をしても、それがどうよ、となる。とりあえず、それらしき生活はしているものの、いつも、それが何なのよ、に辿り着く。 それを言っちゃぁ、お終いでしょ、とも思う。 どこを見ても、消費すること、消費してなんぼ、の社会。この消費者って言葉、よくないなぁ。生産と消費、元々の意味を考えると消費者を無視した言葉に思えてきた。 と、ワケわからない屁理屈ったけど、それを言っちゃあ、お終いだ。消費してなんぼ、で、みんな生活できるんだし・・・ だから、消費してれば、ま、よろしいってことか!? 不可思議状態はまだ続く・・・余計なコト考えず、消費、消費!・・・? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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