|
カテゴリ:飛鳥・奈良・平安
![]() 京都は多くの方がご存知かと思いますが、盆地(というよりくぼ地)なので、夏は暑く冬は寒いので、たとえ地球温暖化にならない時代でもとっても暑い。こんなときに十二単(女装束という)を着てたら倒れてしまうのではないでしょうか? 当然平安時代の貴族の女性にも「夏服」は存在しました。上の写真がそれで、単衣の着物の上にうちきというものを羽織っている状態。これならまだ涼しいですね。 ただもっと暑くなると生絹(すずしぎぬ)という肌がすけすけに見える着物に袴をはいただけの大胆なスタイルになっていたようです。 清少納言は枕草子で「見ぐるしきもの」のテーマで「色の黒い人が生絹を着ているのは見苦しい」といっていますから、本当にすけすけの着物だったようです。 このような格好では当然外に出ることも男に見せることもできず、部屋や仕切りのない寝殿造の家にすんでいるので几帳や屏風で囲いをしてその中ですごしています。 当時の女性は身分が高くても夏は大変だったでしょうね。 □□□■■■------------------------------- 本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[飛鳥・奈良・平安] カテゴリの最新記事
|