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カテゴリ:持論!政治経済・社会
前回ブログでお話しましたことをもうちょっと考えて見ましょう。
天皇だ誰になるかということが議論されていますが、これを考えているとき過去はどうであったのか簡単に知る必要がありますね。 まず、多くの方が勘違いされているのが「天皇」がいつの時代も画一的に扱うまさに「万世一系」的な錯覚を起こしうる歴史が語られていることでしょう。 千年以上続く天皇家は親政をしていたとき(天武朝、建武親政など)もあれば形だけ権力を持った形(平安期)や天皇を辞めた連中が力をもった(院政期)り全く力がないどころか食事にも困ったとき(後奈良朝)もあります。「天皇」という名前を意図的に使わず「主上(しゅじょう)」といっていた時期もあります。 天皇家同士で権力闘争するのは当然だし、遺産相続で喧嘩になるし、部下に利用されて権力闘争にまきこまれるのもよくありました。 今のような「皇室ご一家」みたいなほのぼのとした家庭ではないことが多いのです。なぜなら欲もある単なる人間だからです。 ただ、この国は戦前に天皇を利用した思想統制などを行なっていてそれが浸透することで近代国家に無理やりなったいきさつがあり今でも「皇室典範」みたいに明治に創られたものの思想が強いのではないでしょうか。 戦後、天皇制廃止を求める声も連合国から起こっていましたが、廃止してしまうと日本人を支配できなくなることと当時の政治家が必死になって残したため(日本国憲法も11月3日から始まるのは明治天皇の誕生日だから) 今のような「共和国」でも「王国」でも「連合国」でもない「日本国」という政体がなんだかわからない訳の解らない国家ネーミングになりました。 日本史のなかで天皇というのは欠かせない存在ですが、社会学的歴史学ではもちろん一般人と同じ人間として扱うので私には多くの人が感じる「特別な人」という感覚がありません。 国民の総意で存続はするでしょうが、私にはどうでもいいことなのです。なくてもいいと思います。 これからもこのブログが存続する限り多くの天皇に登場願いますので、色々な天皇を見てみてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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