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エゴは言葉の響きがよくない。
自我のことであり自分本位な人間のことである。 言葉遊びになってしまうが「自分」の定義は難しい。 Aさんという友人がいるとしてAさんのことを自分のこと以上に思い世話を焼いたとする。正確にはAさんとは自分の考えの中にいる人物だ。ものを考えるときに自分の考えの範疇を出ることは出来ない、つまりAさんのことを思ってやった行動もエゴなのだ。 鷲田という思想家は人間の行動は基本的にエゴであり、しかしエゴのなかでも美しいエゴとそうではないエゴとあるという。 つまりキリストも仏陀も黒柳徹子もこの場合エゴであると言える。もちろんすばらしいエゴだが。 ようは自分という範疇を広げて考えるべきだ私は思う。 自分というものから逃れられることは出来ないが、幅を広げれば自然と人望もついてくるだろう。 まあ一般的につかうエゴは他人についての行動は使わないのが普通であるが、考える人たちはそこで思索を止めない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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