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テーマ:オシャレ大好き(193516)
カテゴリ:自分史
私の生まれは浜名湖湖畔の田舎です。 ですからお洒落とはどちらかと言うと縁遠いところで育ちました。 小学生の頃はなんと体操服で通学していました。さすがに今は私服ですが。 おぼろげに覚えているのは小学4年の頃やっと少しお洒落に興味を持ち始めました。 小学校4年、サッカーをしていた頃、スパイクでミズノのランバードが格好言いと感じたことが初めてかもしれません。 6年になり、修学旅行での服装で長ズボン(今では言わないでしょうが)で行きたかったのですが、母が子供は半ズボンの方がかわいらしく小学生ぽいと言うことで半ズボンで行きました。皆長ズボンでしたが。 このころガキの癖にサングラスを買おうともしていました。 中学ではなんと暫く校則で坊主でしたので余計町の子供よりも関心が弱かったかもしれません、ただ自分で親からお金をもらって1部洋服を買うことがありました。 今でも覚えているのがミズノの半そでのT-シャツで3500円くらいだったでしょうか、値段の相場が分からず買ったのですが、家に帰って母から高いと怒られました。 兄の行っていた高校がお洒落な人が多かったこともあり、兄から誕生日に3ラインのシャツをもらい友人から羨ましがられました。当時3ラインはアディダスの影響で人気があったのです。ただもらったのはアディダスのものではなかったのですが。 高校に行ったときは結構お洒落のカルチャーショックを受けました。 バスケ部はジョーダンシリーズのバスケットシューズとか履いている生徒が多かったのです。中学の頃地元でもいましたが、遥かに少なかったです。高いこともあったのですが。 高校の友人の行くお店は私が行っていたCOXやイトーヨーカドーではなく、もっとグレードの高い店が多かったです。 高校も2年になるとありえないほど高い服ばかり載っている雑誌を読んでいる生徒もいました。メンズノンノなのですが、5000円以上の服を買ったことのない私は、5000円以上からしかない雑誌にただただ驚きでした。 バイトもしている生徒はブランドを買っているようでした。この頃はやっていたこともあり、初めはストリート系の洋服からお洒落に入ったのですが、痩せていましたし、だらしない格好が出来ない私は、いわゆるモード系の服に関心を持ちました。 なかなか高校生の小遣いでは買えず、それが他人との差別化になりはまっていきました。 どのような服がいいのか分からず、はじめはいい服はテカテカ光沢のある服がいいとおもい買ってしまい、着ると恥ずかしいと思い結局着ないことも多かったです。 こんな私でも失敗を重ね何とか自分に合った服を見つけられるようになりました。 大学で京都に行きお洒落でない学生を探すほうが難しいくらいお洒落な人が多かったです 女性はプラダ、グッチ、ヴィトンは割りと当たり前でした。 ただブランドの種類や買う値段が高いだけで、基本はあったのですぐ馴染みました。地方から来た友人にアドバイスも出来るようになっていました。 社会人になり今でも好きです。この間ある本でお洒落な人のほうが若くいられるとあったのでこれからも格好には気をつけたいと思います。ただ中身を磨くことも忘れないようにしなければいけませんね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月23日 23時38分19秒
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