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どうしても、詩が、うかんでしまう、ときがある。
旅に出たときと、すきなひとと、わかれたとき。 20歳のとき、インドにいった。 あさ、ガンジスで、沐浴をしていると、 詩が、しぜんに、できた。はじめてのことだった。 船のうえで、同じ朝日をみていたSが、鼻歌をうたった。 朝食をおえて、ホテルのロビーにピアノがあった。 つかっていい、というので、Sは、さっき出来たばかりの曲を奏でた。 俺は、そのピアノに、さっき出来たばかりの詩をのせてみた。 その場で『裸足の少年』という「うた」になった。 帰国して、Sのスタジオで、カセットテープにした。 そのカセットテープは、地方のなんかのコンテストを通過し、 最優秀賞をとった。 賞金で飲んで、これ一曲でおしまい。いい思い出のつもりだった。 でも、これがいけなかった。 俺は、「創作のよろこび」を覚えてしまった。 そして、あらゆる経験を渇望するようになってしまった。 そのころ、20歳の俺に、とても素敵な彼女がいて。美人で、利発な、いつつ年下の、読書の好きな、字の上手な女性だった。 癒され、きらめくような毎日の中で、俺は思っていた。 俺に彼女がいなくなるなんて、かんがえられない。 彼女のささえなしに、おれは生きられないだろうなあ。 そのとき、はじめて、阿片が、俺にささやいた。 「ならば、」 「創作のよろこび」が、平穏な日々のなかにいる俺に、ささやきかける。 「その彼女を失ったとき、おまえは、どんな曲ができるんだろうね。」 20歳のおれは、「創作のよろこび」に抵抗できなくて、 はたして、二曲目がうまれた。『石の城』という、詩。 ふたたび、Sが、ピアノをたたき、 そのカセットテープは、まえよりもちょっとメジャーな、 ソニーかなんかのコンテストを通過し、 おれたちは、ルイードでうたうことになった。 佐野元春は大好きだったから、ルイードでうたえるのはとても嬉しかった。 客席に彼女の姿はなかった。 セミプロがあつまるコンテストで、 俺とSの『石の城』は、いちばん素人っぽかったのに、 最優秀賞をとった。 あたりまえだ、と思った。 セミプロたちは、架空の物語をうたっている。 でも、俺は、「ほんとうのこと」しかうたっていないからだ。 そう思った。 Sと、俺は、「ほんとうのうた」をつくりまくった。 Sのピアノは独学だつたが、Sは天才だったから、俺の詩は、その場であっという間に「うた」になっていった。 もはや、俺は、「創作のよろこび」ジャンキーになっていたのかもしれない。 ふたたび、阿片がささやいた。 「じゃあ、Sを傷つけて別れたら、おまえはどんな詩をつくるんだろうね。」 はたして、その詩は、つくられた。 もちろん、「うた」になることは、なかった。 どうしても、詩が、うかんでしまう、ときがある。 旅に出たときと、すきなひとと、わかれたとき。 創作のよろこびは、阿片である。 おれは、ほんとうのことしか、うたえない。 あれから十五年経って、 いま、36歳の俺は、いい大人になっていたはずなのに、 みたび、「創作のよろこび」に、ささやきかけられている。 創作のよろこびは、阿片である。 警告する。おれは、「創作のよろこび」ジャンキーである。 おれは、ほんとうのことしか、うたえない。 なんて、ちょっとおセンチになってみたりして。こんにちは、松本法光です(←またかよ!)。人生万事塞翁が馬。なにがよいかわるいかなんて、わからない。上記に書いたことはじじつですが、それはすべて、いまの私をつくってくれた体験てす。 実は、15年ぶりに、Sからメールをいたたいたのです。 Sは、その道のプロフェッショナルとして、さまざな才能を開花させています。天才Sとの、思い出ばなしでした♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年04月10日 18時00分00秒
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