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今日のワク探 [全812件]
文化の日が雨だったのは、覚えている限り一度しかない。実際はもっとあるのだろうが、そのくらいこの日は晴れていることの方が多い。何かのクイズ番組で一年で一番晴れの確率が高い日は、という質問に対する答えで、「文化の日」という答えが圧倒的多数だった記憶がある。実際は別の日だったようだが。 そして、今日もやはり晴天だ。眩しい日差しに、数週間前の暑さが皮膚によみがえる。とはいえ、さすがに11月、冬が砕けたガラスの破片のように大気の中で煌めいている。 そんな季節の誘惑に誘われて、阪急電車で高槻に向かう。前々から食べろぐなどで気になっていた「きんせい」らーめんと、これまたgundayuuさんのブログで興味をひかれた高槻城址が目的だ(食い気の勝る私は、やはり前者が優位なのだが)。 阪急高槻市駅を降り、まずは「きんせい」を目指す。時間は1時を少しまわったくらいだが、まだお昼どき、人気店だけに行列の並び具合が気になるところだ。幸い、並んでいたのは3人のみで、5分も待つと店に入れた。 わたしが頼んだのは、ややこってり系の「かさね味」というやつで、白いスープに丸ストレート麺が浮かんだ姿はちゃんぽんを彷彿させるが、口いっぱいに広がる魚介類のだしがきいたとんこつ味のスープはやはりラーメンそのものであり、見事にわたしの好みにはまっていた。 満足感と満腹感を抱えて、晴天の下、高槻城址を目指す。途中で野津神社に参拝すると鮮やかな緋色の毛氈が目に入り、丁度野点をやっていると知る。久しぶりにあの苦さを味わいたい、と300円で一服所望しようとしたら、お菓子が切れて終了とのこと。残念だが仕方がない。 高山城址はまったくといっていいほど建造物がなく、その面影を一部の濠に残すのみである。それでも、さすがにただの公園とは違った趣がそこはかとなく漂うのは、長い歴史をくぐってきた土地の生命というものだろうか。 高槻城主といえば、何と言っても有名なのは高山右近である。城址に建てられている右近の像を眺めながら、当時の大名たちがこぞってキリシタンとなった理由に思いを馳せるが、信長や秀吉のように貿易というはっきりした目標があるのならばともかく、封建制度の象徴ともいえる彼らが、何故に神のもとの平等をうたうキリスト教にひかれたのか。 納得できる答えが見つからないまま、とりあえず城址公園内をひとまわりする。半分以上の敷地は、子供の広場といった呈で、色とりどりの遊具が配置されており、遠く戦国や江戸に思いを馳せるにはあまりにもかけ離れている。 先ほどの満腹感に比べると、どうも今ひとつ物足りない思いがあって、往路で看板を見かけた城址歴史記念館に立ち寄った。正直、規模は小さいく展示物の少ないものの、時を経てきた本物だけが持つ無言の語りかけは、心に響くものがある。 何といっても文化の日である。文化的素養がない私ではあるが、こんなプチ歴史紀行も悪くはない。
夜半の強風にあおられたのだろう。桜並木の通勤路は、桜の花びらが羽毛のように積もっていた。 散ったのは桜だけではなかった。大学の山岳部で同期だったIも、桜と共に散って逝った。 やはり同期だったAから電話があったのは、まだ桜が満開だった週末のこと。悲しい知らせがある、と切り出したAの言葉から、誰かの死は覚悟した。しかし、Aが告げた人の名は、思いもよらぬものだった。 海外のプラントの立ち上げのため単身赴任していたIは、お子さんの入学式のために一時帰国した矢先に、心筋梗塞で亡くなった。それこそ、一夜の強風で散った桜のように。 大学に入学した時、Iと私は同じクラスだった。自己紹介する中で、共に高校で山岳部に所属していたことを知り、ワンゲル部にせよ山岳部にせよ、同じ部に入ろうと誘ってくれた。 少人数だったせいもあってか、部員はみんな仲が良く、絶えず誰彼のアパートにたむろしていた。私のアパートにもIはしょっ中やってきて、一晩中、酒を飲んではギターを弾き、歌を歌いまくっていたこともあった(住民のみなさん、すみませんでした)。 いつも穏やかで冷静なIは、みんなの信頼も厚く、当然のように主将として活躍した。小柄で色白で、ともすれば女性的な容貌からは想像もつかない体力、そして内に秘めた山への情熱。わざわざ、新潟の会社を選んだのも、山に登りたいがためだった。 最後にIに会ったのは、Iの結婚式だから、もう二十年以上会ってなかった。毎年来る年賀状には、なかなか山に行けないとこぼしていたが、ここ数年、お子さんも大きくなったからか、山行の写真を見かけるようになった。 いつかの再会を楽しみにしていたのに、それを果たさぬまま逝ってしまうとは。 Iのことだ、安らかになんて眠っていないだろう。今頃、きっと慣れ親しんだ、みちのくの山々を、それこそ軽々と巡り歩いているに違いない。
以前は中毒と思えるほど、毎日PCを立ち上げ、ネットやブログを見ていた。しかし、今年に入ってからは月に数回、それも週末に限るようになってきている。 ひとつには、年のせいか、夜遅くまで起きているのが少々つらくなってきたことがある。本の一冊でも読めば、帰宅後の時間はそれでおしまい。シンデレラタイムにはPCの電源を入れる余力は残っていないのだ。 結局、くどくどと最近の日記の更新やブログの訪問が滞っている言い訳をしているのに過ぎないのだが。 とはいえ、ネットやブログ(まだ、ツイッターは見ていないが)から得られる気づきやご縁は私にとってはかけがえのないもの。ペースダウンしながらも、続けていくことは間違いない。
「キイーッ」 甲高く一声鳴くと、ごろんと横たわった。いつも見せるリラックスしたポーズは、目こそしっかりと見開いているものの、もう息をしていなかった。一緒に見守っていた妻と長女の鼻をすする音だけが部屋に響く。 あと3ヶ月で9歳を迎えるはずだったラビ。うさぎの平均寿命は7年というから、天寿を全うしたと思いたいが、もっともっと生きて欲しかった。 ミニうさぎのチェリーが3歳で死んだとき、しばらくはペットショップに入ることもしなかった。そんなある日、ふと入ったペットショップで目が合ったのが、生後2週間のミニウサギだった。 チェリーと同じグレーの毛並みだが、チェリーが顔の中心が白かったのに対し、顔から手足の先まで、全てグレー1色。家に連れて帰ると、子供たちの最初の一言は「ねずみみたい!」だった。 来た当時はえさ箱の中にすっぽりおさまり、いかにもミニうさぎらしかったのだが、どんどん大きくなり、しまいには4kgを超える立派なおばさんうさぎになっていた。 庭で放していたときに、入ってきた近所の犬に頭を押さえつけられて、一週間ほどえさも食べずに放心状態だったこともあった。 マンションに引っ越してからはずっとケージの中だったが、りんごやバナナの匂いがすると立ち上がっておねだりをした。 抱かれるのが嫌いで、抱こうとすると全力で抵抗するため、つめきりはいつも大変だった。そのくせ、寂しがり屋で、網から鼻をつきだしては、頭を撫でてもらいたがった。撫でてやると、気持ちよさそうに目を半開きにしていた… そんなこんなが頭の中でぐるぐると回り出し、涙が自然と溢れてきた。 そういえば、網から鼻を突き出す時間が、ここ数日、とても長かった。いつもなら、5分くらい撫でてやると満足したように離れていたのに、10分、20分撫でても、撫で終わってケージから離れても、まだずっと鼻を突き出していた。もうすぐ、別れが来ることがわかっていたのだろうか。 ラビのちょっとした仕草に家族が笑い、今日のラビはこんなだったと、話題にのぼる。ラビは間違いなく、我が家の三女であり、家族の心を和ませてくれた。 ラビの最後の鳴き声は、「さようなら」だったのだろうか。私はこう返したい。 「ありがとうね、ラビ。本当に、本当にありがとう。」
韓流、それはおば様方の世界、と思っていた。今、高3の次女がすっかりはまっている。 次女がはまっているのは、ヨン様(古い?)のような映画スターではなく、K-POPというやつだ。「東方神起」から始まり、「BIGBANG」「SHINee」etc、と、一体どこで知ったのか、といぶかるほど、K-POPに通じている。 最初はCDやDVDを買う程度にとどまっていたが、コンサート、ファン同士の情報交換、韓流専用チャンネルへの加入。それにつれて益々情報通となり、ポジティブフィードバックがかかってどんどんエスカレートしている。 コンサートも半端ではない。はじめこそ、大阪、神戸と関西エリアだったのが、名古屋、東京まで遠征するようになり、とうとう、今週末は同級生と2人、ソウルにまで行っていく、という、おば様方に比肩する追っかけぶりだ。 情報交換も然り、である。日本人のファンばかりでなく、今では韓国の女子中学生と自動翻訳を利用してメール交換までしているらしい。その一方で、ハングルも勉強している様子であり、簡単なものなら読めるし、聞き取りもできるとか。 そこまでするには当然、先立つものが必要であるが、私は一切援助せず、全て自前である。早々と短大推薦入学が決まったこともあり、安心して?せっせとバイトに励んでいるのだ。 とかく面倒くさがりで、家ではとどのように寝っころがっている姿からはとても想像つかない行動ぶり。世の親の常として、その情熱を勉強なりなんなり別の方面に向けてくれれば、と思うのだが。 ソウルでのコンサートは昨夜。今晩帰国したら、いつものように興奮してその様子をしゃべりまくるのだろう。でも、明日は最後の期末テストがあることだけは忘れないように。
あのサブプライム問題が勃発して以来、経済の急落に合わせるかのように、公私共に低調になった。株価が回復し始めても、私の方はというと相変わらずの低空飛行、というか、海面すれすれで今にも海に突っ込みそうな状態が続いた。 藁にもすがる思いで、書籍の占いコーナーに居並ぶ本を読みまくったが、残念ながら殆どの本が今年も低調を示唆する内容ばかりである。そんな中、何冊かの本に、とにかく掃除をマメにすることが運気上昇の秘訣と書いてある。 確かに、気分が乗らないせいか、部屋の中は何冊かの本や物がいつも出しっぱなしになっている。よくよく見ると、棚や床には埃が積もっているではないか。部屋の乱れは心の乱れ。まずは外堀を埋めようと、部屋の片付け、掃除を始めたのが昨日だった。 私の場合、片付けを始めてしばらくは、それまで以上に散らかるのが常である。私の大雑把な性格ゆえ、ここからこうして、と計画的に進めずに、とにかく一旦物を全て放り出す。そしてそれらをまとめて片付けるのだ。 読まなくなった本や使わなくなっても置いたままになっていたパソコンも全部引っ張り出し、古本屋へ売ったり、業者に頼んで処分してもらった。本棚からは一万円の新札が出てくる、という、まるでサザエさんに出てくるような一コマまであった。 電気掃除機を使うのも癪なので、床も什器も全て布巾で拭いていったのだが、出てきた綿埃の量が半端ではない。小さな座布団くらいできそうな量である。こんなに埃まみれで、しかも散らかっているとなると、気管支炎が長引くのは当然だろう。運気以前の問題である。 ようやく終わったところで椅子に座って一息つく。こんなに清々しい部屋の雰囲気を味わったのは、いつ以来のことだろうか。照明はそのままなのに、部屋を照らす光の量が倍になったかのようだ。澱んだ空気も、全て澄んだ空気に入れ替ったかのように思えるほどだ。 さて、問題はこの状態がいつまで続くか、だ。継続が苦手な私にとって、この状態を維持することは、継続力をつけるためのチャレンジでありチャンスでもある。部屋をきれいに保つこと、これも日々の精進と心得よう。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。 ブログを書き始めて、12月は初めて何も書かない月になった。正直、1年を振り返るにはちょっと厳しい出来事が多過ぎた。 そんな年も昨日で終わり。時間は連続なのだが、暦とは有難いもので、今日からまた新しい一年が始まる。 そして今年一番初めにしたことは、東大教授にして、財もなした稀代の成功者である本多静六先生のご著書「本多静六のようになりたいなら、その秘訣を公開しよう」の読書だった。 「小事といえども努力を惜しまない」と、一貫して努力を、それも楽しく続けることの重要性を説かれる先生のお言葉は、昨年の我が身を省みさせ、今年の希望を与えてくれる。 今日は私の実家へ、そして4日には妻の実家を訪れる。家族揃って新年を迎えられることに心から感謝だ。それに報いるためにも、今年は一日たりとも、精進を惜しむことなく日々を送ろう。 今年が私にとっても家族にとっても、そして皆様にとっても素晴らしい年となりますように。 |一覧| |
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