郷司裕さんの野球殿堂入りで思い出すこと~昭和44年夏の甲子園決勝・松山商ー三沢
アマチュア野球界などが対象の特別表彰は、甲子園大会などで審判員を務め、2006年に74歳で亡くなった郷司裕(ごうし・ひろし)氏が殿堂入りしました。郷司さん。このお名前を聞くと、昭和44年夏の甲子園決勝・松山商ー三沢戦を思い出します。ボクはまだ子供で、岩手に住んでいたため、近所の大人たちと一緒にテレビを見ながら、隣県の青森・三沢高を応援していました。延長18回引き分け再試合、いずれも球審は郷司さんでした。この時、三沢高を応援する立場として、不思議なジャッジが2つありました。ひとつは1試合目の延長15回裏、三沢高攻撃の場面。内野ゴロで三塁走者が猛然と本塁に突っ込みましたが、郷司さんのジャッジは「アウト」。そして2つ目は、これと前後して一死満塁の場面でカウント3-1から松山商・井上明投手が投じた5球目は少し低く見えましたが、郷司さん「ストライク!」と判定しました。いずれも微妙でしたし、もし逆の判定ならば三沢高のサヨナラ優勝が決まっていました(後に「白河越えはいつになったら実現?」なんて言われることはなかったのです)。ボクのまわりにいた大人たちは「今のがなぜアウトなんだ?」「なぜストライクなんだ?」と、郷司さんに不満タラタラでした。でも冷静に考えれば当時は白黒テレビで画像も粗かったため、微妙なシーンをテレビを通して視聴者が分かるわけがありません(笑)近隣の東北のチームが優勝を目前にして、ただただ感情を高ぶらせていただけかもしれません。とりわけストライク・ボールの判定は郷司さんも後々まで気にされていたようで、しばらく後になって、郷司さんは松山商の投手だった井上さんに会う機会があり、井上さんにこんなことを聞いたそうです。時を経てある時、郷司さんが私(井上さん)に尋ねた。 「あの一球、どうだったかな?」 報道陣に「あの球は低かった」と質問されることが多く、当人で ある私に一度聞いてみたかったそうだ。 「低めのストライクです」と私が答えると、郷司さんは照れたよう なほっとした表情を浮かべていた。照れたようなほっとした表情というのがいいです。今更聞いて、答えがどちらであっても、結果が何も変わるわけもありません。しかし、それでも郷司さんは聞いてみたかったのですね。あの判定のことがずっと胸につかえていたのでしょう、きっと。写真:『高校野球 熱闘の世紀』(ベースボール・マガジン社)より<関連記事>太田幸司が投げ抜いた384球(2014.1.10)松山商・井上明投手が描く「あの一球」(2006.12.14)