坂本勇人で思い出した甲子園
2009年11月22日に行われた「セ、パ両リーグ誕生60周年記念試合・プロ選抜vs大学日本代表」のこと。■この記念試合の「売り」だった同年齢対決。坂本勇人(読売、光星学院高)と斎藤佑樹(早稲田大3年、早稲田実)の対決は、試合開始直後の初回に実現した。トップバッターの坂本は斎藤が2球続けた直球の後、3球目のスライダーを上手くとらえ、レフト前に安打を放った。注目の対決は、坂本の勝ちだったと言える。以下、坂本の斎藤佑樹評。「変化球が抜けてきたところをしっかりととらえることができた。打席に立った時、ストレートがすごく来ているなと感じた。映像で見たものとは違うところがあったし、いいピッチャーだと思った」(日刊スポーツ2009年11月23日付より)■坂本勇人。光星学院高時代は、2006年センバツで甲子園に出場している。ただ初戦の関西高戦にスコア4-6で敗退した。この試合、勝利した関西高のエースはダース・ローマシュ匡(現・日本ハム)。そして坂本のいた光星学院高には、現・國學院大3年の村松伸哉や現・東北福祉大3年の桑鶴雄太らがいた。■話が逸れてしまうが。関西高といえば光星学院高に勝利した後の2回戦、対早稲田実戦を思い出す。早稲田実のエースは、言うまでもなく斎藤佑樹。3月29日(延長15回引き分け)早実 000 021 300 001 000 =7関西 001 010 203 000 00X =73月30日(再試合) 早実 001 010 002 =4関西 000 000 120 =3ボクにとって特に印象深かったのは、再試合の9回裏の出来事。この時のことがwikipediaに記載されていたので以下に引用。「9回表、1アウトから後藤がレフト前ヒットで出塁すると続く船橋はライト前へ。この打球を熊代剛(現・大阪体育大学)が後逸し、打った船橋までも生還。早実が再逆転。熊代はミスをしたショックで涙し、しばらくベンチに戻れず。(早 4-3 関) 」熊代剛の呆然と立ち尽くす姿をボクは今でも憶えている。ボールを後逸後、右翼のポジションに立ち尽くしたまま涙、涙、涙・・・だった。今日も1クリックお願いします