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カテゴリ:ココロ動く日
あの人がいなければ、
あの一言がなければ、 あの出来事がなければ、 ということはたくさんある。 良くも悪くも。 自分の人生を変えるほどにすばらしい、かけがえのない出会いというのがあります。 それは人だったり、本だったり、ことばだったり、出来事だったり。 一方で、思い出したくないぐらい、 思い出すだけでまたイヤな感情が蘇ってくる出来事、というのがあります。 自分の人生に大きな衝撃を与えた人、 あの出会いがあったから今の自分がいる、と 感謝の気持ちでいっぱいになるのと同じぐらい、 今の自分を創っているもうひとつの出会い、出来事です。 それは、決して心地よいモノではなく、むしろそのときは、 人生最悪の出来事ぐらいに思っていたことが、 実は、のちの人生を考えると、 最悪の出来事こそが、人生を好転させるキッカケになっている、ということがあります。 今の私は、本当に好きなことを仕事にしています。 が、きっと、最初に勤めた職場が居心地がよく、楽しかったら 今の私はなかったでしょう。 人間関係、やり甲斐、待遇、社風、環境、将来性など 働く上でのプライオリティというのは人それぞれ違うし、 すべてが揃っているというのはなかなかないと思いますが、 私の最初の職場は、1ヶ月の夏休みがあるとか、 年に3回のボーナスがあるとか、 お給料や休暇ではもうこれ以上の職場はないでしょう、というぐらい最高の待遇でした。 が、そんなモノでは満たされない、割り切れないものがありました。 退屈な仕事、やりたくない仕事、 それでも、もっと「楽しかったら」きっとまだその職場で続けていたでしょう。 常に上司、先輩たちの顔色、声色をうかがい、 波風を立てるぐらいなら、自分の感情を折りたたもうと思っていた若かりし頃の私は、 声が出なくなったり、胃が痛くなったり、頭痛が止まらなかったり、皮膚が炎症を起こしたり、、、 病気の問屋というぐらい、いつも病院のハシゴをしていました。 そんな職場で、最終的には爆発したんですけどね。 それはそれで大人げなかったけれど。 あの頃の出来事は、今でも少しチクチクするものがあります。 もうあれから随分時間が経っているのに、 それでも思い出すとちょっと苦しくなります。 生徒じゃないけど、よく保健室で泣いてたりしたので(笑)。 そんな、思い出すだけで、まだ少し生々しい傷も、 今では感謝できる。 ようやくそんな風に思えます。 成長しましたねーーー、私。 たぶん、あのときに、ココロの奥から、深い部分から湧き上がった、 「好きなことを仕事にする!」というエネルギーが 今の自分を形成してくれたんだと思っています。 何か辛いことが起こっているとき、苦しいとき、 その渦中にいるときというのは、 なかなか俯瞰的に、冷静に、物事をみることはできないし、 ましてやそんなマイナスの出来事、出会い、ことばに感謝できるほど、 「出来た人間ではない」と私は私自身、そう思うけれど、 どんなにイヤなこと、苦しくても挫けそうなことでも きっとそれを乗り越えたあとには、 一回りも二回りも成長した自分に出会えるはず。 と、何だかすっかり達観したようなことを言ってますが、 実は最近も似たようなことがあったんです。 いつも絵に描いた餅のようなことばかり、 つかめそうもない夢物語ばかり言って、 本を読んで、セミナーを聴いて、 「何だか成長したツモリ」「何だか成功したツモリ」で ちっとも行動の伴っていない私に、石を投げてきた人がいたんです。 当たってるだけに逆ギレした私。 反応する、ムッとするというのは、気にしてるってことです。 反論するも、意地になってる、頑固になってるのがわかる。 もう口なんてきくもんか! って本気で思ったり。 でも、やっとようやく目が醒めた感じ。 本気になれよと。 何かを言われてムッとする、ムカついただけでは、 不快な感情だけが残り、何の成長もないけれど、 成長の種が芽を出し、花が開くキッカケを その一言が、その出会いが、その出来事が創ってくれたのだとしたら、 そんな貴重なチャンスを埋めてしまったらもったいない。 いつか花開く、そのときを信じて。 そして、変化する、成長するキッカケを与えてくれたことに感謝できる日がきたら、素晴らしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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