近代日本文学史メジャーのマイナー

2009/10/03(土)06:00

全く賢治は情念の修羅ですね。

大正期・大正期全般(26)

  『風の又三郎』宮沢賢治(新潮文庫)  文学史の本を前から順に読んでいるだけでは何ら気が付かないんですが、文学史について触れている作家の文章なんかを読んでいると何となく気が付く事があります。  文学史教科書の評価より高い評価の文学者ですね。  全体に文学史的評価というのは、一応は作品評価となっていますが(以前より述べているように、しばしば客観的な業績評価とはなっていないです)、それが低くって、後世の作家からは、気になる存在として取り上げられる文学者には、共通項が見られます。  それは、当然想像できる範囲の理由ですが、「夭折者」ですね。  有り余る才能を秘めつつ、その十分な開花を待つ間を持たずに亡くなった一連の表現者であります。  その最右翼が、僕の見る限りで言えば、石川啄木でしょうか。  後世の多くの文学者が、この不幸な文人に触れています。  そして、おそらくはそのグループの中に入れてよい一人として、宮沢賢治がいます。  この人も、なんというか、実に多くの謎を秘めていそうで、十分「怪しい」感覚を漂わせている文学者です。  実は、僕はこの作家について、少し「食わず嫌い」をしていました。  その理由は何でしょう。我が事ながら、少し分かりません。  あえて跡づけ理由を考えますれば、「賢治童話」の高い人気に対する反発、とでも言えましょうか。  でも、これについても、少し変ですね。まぁ我が事については瑣事であります。  とにかく、賢治はあまり読んでいませんでした。  ところが、僕の娘が、「賢治好き」なんですね。こんな本を持っていたもので、つい読んでしまいました。これです。   『宮沢賢治の青春』菅原千恵子(角川文庫)  なんだか大学の文学部日本文学科卒業の国語の先生の読みそうな本ですね。  すでに触れましたように、僕は、宮沢賢治はよく知りません。  しかし高校の国語の授業の時に、確か賢治の詩、『永訣の朝』を読んだと思います。  思い出しました。これがよくなかったんですねー。いえ、もちろん賢治の詩がよくないと言っているわけではありません。極々プライベートな理由で、この詩が、「逆恨み」的に、僕を「賢治苦手」にしてしまったわけです。  うーん、若い頃の様々な「出会い」というものは、本当に恐ろしいものですねー。  本質とは全然違う、まるっきり違うところで、対象を評価、少なくとも、好悪判断をしてしまったりするんですねー。  私の「賢治食わず嫌い」の原因の一つは、こんなところにあったのでした。  しかし実際、「苦手意識」というものは、なかなかやっかいなものです。  人とのつきあいについても、苦手の人っていますよねー。何がどうした原因というものはまるで思い当たらないのに、なんだか、「苦手」な感じの人って。  いえ、宮沢賢治を、軽く扱っているわけではありません。  それどころか、日本文学の中で、世界文学的レベルに達している数少ない一人であるという、誰だったかの評価を、さもありなんと信じていましたから。  で、とにかく、長い間、知らんふりをしていたんですが、この度、上記の娘の本を読みましたもので、改めて賢治詩集をひっくり返して、『春と修羅』を読んでみました。      いかりのにがさまた青さ    四月の気層のひかりの底を    唾し はぎしりゆききする    おれはひとりの修羅なのだ  とか、             まことのことばはうしなはれ           雲はちぎれてそらをとぶ         ああかがやきの四月の底を       はぎしり燃えてゆききする     おれはひとりの修羅なのだ  なんて個所を読みますと、改めて目から鱗がぼろぼろと、なんだか「大漁節」みたいな、「いけいけどんどん」という感じもしつつ、とんでもないような言葉の喚起力であります。  うーん、全く賢治は情念の修羅ですな。いえ、感動しました。  ついでに『永訣の朝』と『松の針』も読みましたが、「turpentine」なんて単語は全く、禍々しいまでの存在感ですね。  ストレートに、感動しました。  というわけで、娘に借りた本を切っ掛けに、僕は再び、とりあえず賢治に向かい合って、とにかく一冊、読んでみました。  これが、冒頭の本です。  以下、次回に続きます。  よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓  俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 /font> にほんブログ村

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