2013/09/01(日)11:16
女性の経済的主権について
『大つごもり・十三夜』樋口一葉(岩波文庫)
先日、井上ひさし脚本の『頭痛肩こり樋口一葉』というお芝居を見てきました。
もちろん井上ひさし氏が亡くなられて既にかなりたっていますから(もう三年前になりますねぇ)旧作でありますが、再上演されるたびに評判のとてもいいお芝居だと聞きます。
そして今回も、その評判通りとても面白かったです。
私も見ていていろいろと感じたのですが、その一つが、「明治という時代に女性として生きることの困難さ」ということでした。
……うーん、でも、これって一体どういうことなんでしょうかねぇ。
どういうことという意味は、細かく考えるとあれこれありまして、まず女性だから困難なのかと言う意味、あるいは男女問わず明治という時代に生きることが困難なのかという意味でありますが、そしてそれは同時に、今現在はどうなのか、男性についてはどうなのかという疑問にもつながっていきます。
本ブログでも既に何度か触れたことがありますが、山田風太郎や司馬遼太郎も(あの『坂の上の雲』で、青春時代のように瑞々しい明治時代を描いた司馬遼太郎でも)、明治という時代がやはり一種とても生きづらい時代であったことの指摘を何度かしています。
しかしじゃあ、江戸時代はどうだったんでしょうか。明治時代以上に、少なくとも庶民は生きづらい時代だったんでしょうか。
そうだったかもしれないな、という気がします。しかし、そんな知識に欠けるのでよく分かりません。
一方女性である生きづらさはどうなんでしょう。
上記に触れたお芝居の中に、こんなフレーズがありました。
「女が地獄に堕ちるには三日もあれば十分だ。」
これはかつて普通の庶民(どちらかと言えばお金持ち)の女房であった普通の女性が、その後色里に売られ売春婦となったストーリーを踏まえてのセリフです。
思うに、それは経済的主権ということでありましょう。そして、明治という時代に、一般女性が経済的主権を持つことが極めて困難であったことは、明治時代に女性が生きづらかったことのほぼ決定的な原因であります。
さて今回の読書報告でありますが、冒頭の岩波文庫には7つの短編が収録されています。この7作です。
『大つごもり』『ゆく雲』『十三夜』『うつせみ』
『われから』『この子』『わかれ道』
できのいいのはやはり有名な『大つごもり』『十三夜』でありましょうか。『わかれ道』なんていう短編もなかなかおもしろかったですが、とにかくこれらの作品は、実に水際立ってすばらしい。
まさに短編小説の鑑のような作品群です。
最近のちょっとしたブームなのか、それとも別にブームということでなくって正当な歴史的評価なのか、明治文学がらみの書籍をいくつか書店で見たりするのですが、明治文学のオーソリティに混じってよく取り上げられているのが樋口一葉であります。
(少し閑話になりますが、一葉が五千円札の肖像になっている件ですが、これにつきましてはわたくし、以前考察をしたことがありました。結論だけをここでも述べますと、あれは与謝野晶子が選ばれるべきであったという「珍説」です。)
一葉だって鴎外が絶賛していますから(露伴も漱石もとても褒めています)、オーソリティに混じっていても当然といえば当然なのかもしれませんが、しかしなんと言っても、一葉は夭折したせいで作品数が圧倒的に少ない作家です。あれだけの作品数でこんなに褒められるとは、ある意味とても「効率」のよい作家です。
そしてそんな「効率」のよい作品のテーマがことごとく「経済的主権を持てない女性の生き方の困難」であります。(一見そんな事柄が書かれていないように見える『たけくらべ』でも、ヒロインの美登利は花魁になることを運命づけられた妓楼の養女です。)
それは、作品のできがほれぼれとするものであるほど、読み終えた後に、その主人公の生き方について、じわじわと心の奥に染み込んでくるものになっています。
そう思うと、小説の持つメッセージ性とは(もちろんメッセージ性だけが小説の価値ではありませんが)、実に長い寿命を持つものであるなと、私はちょっとそんなことも考えたのでありました。
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