CHINA QUEST*中国にはまったOL⇒女性社長の人生修行

2008/01/03(木)01:32

【壱】部屋取り大作戦

上海留学時代(44)

先に書いた「ルームメイトは***人」の続きがホッタラカシになっていましたので 続きを書きたいと思います。 何せ1994年、古い話なんですが。 ようやく留学生活に慣れた私が、生まれて初めて「中国流処世術(よくあるヤツ)」 を実行した記念すべき出来事ですので、是非紹介を。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 時代は、まだネットがなく、電話とFAXで物事を行っている頃。 また中国では携帯電話は「大歌大」と呼ばれる高級品で、 庶民はBP機(ポケベル)を通信手段にしていた頃。 上海初の高架道路(内環線)が通り、 東方明珠塔とヤオハンが丁度出来た頃かな。 チェンマネ屋もあちこちにいて、混沌としていながら 経済発展の兆しに人民がチャンスを掴もうとギラギラした エネルギーに満ち溢れていた、あの頃。 留学生は交流中心に居住する規定がありまして。 外に住むのは原則禁止。 そんな状況下、私はルームメイトとうまく行かず一人部屋を要望。 ・・・しかし! ここは中国、そうは問屋が卸しません。 数々の壁にぶち当たって最後に行き着いた方法とは… そして、その効果の程は如何に…? * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * スウェーデン人の同屋(ルームメイト)が出来て 喜んでいたのもつかの間、性格の問題や共通項がなさすぎる事に 早々に同居を解消する事を決意した私。 新たなルームメイトを見つける手もありましたが、 「もう気楽な一人がいいや」と一人部屋を希望しました。 異文化ストレスもあり、ホッとできる空間が欲しかったのです。 そこで・・・ (1)行政科に相談 外国人交流中心(つまり寮)には行政科や学生課の事務所がありましたが、 部屋の割り振りなど日常生活に関する事は行政科の管轄でした。 噂では「部屋決めババア」と言うアダ名の女の先生がいて、 かなり手強いとの事。 昼休みによく寮の中庭でバレーボールをしている40前くらいの オバハンパーマに、目のギョロっとした女性だと聞かされ。 確かに手強そうな・・・(~~; とは思ったものの、取り合えず相談に行くのが筋だろうと。 ドアの前で作り笑いを作ってから、部屋をノック。 丁度、部屋決めババアはいて。作り笑いで用件を告げると、 無表情で「申請書持ってきなさい!」と一言。 「あ、あの、御相談したいんですが…?」と話しかける私に 「書面でないと受け付けない!」と怒鳴りつけ、後は無視。 あまりの剣幕に言葉をなくして、仕方なく行政科を出ました。 廊下を歩きながら 何だ、あの態度は!?えっらそ~に!!(怒) 相当、頭に来ていたのですが しゃあない、それが中国…(疲) グッと我慢して「一人部屋申請書」なるものを書く。 ルームメイトとうまくいかず、勉強も手につきません。 上海に来てから既に5キロも痩せてしまいました。 私の両親も大変心配しておりまして、先生方のお力添えを 是非是非お願い致します。。 我ながら・・・ クサイ!!(笑) と思いましたが、なりふり構っていられません。 切々と辛い心情をペラペラの原稿用紙(そんなのしか売っていない)に ウソ混じりで、オーバー目に訴え。 いい出来だ(ニヤリ) それを握って、再び行政科へ。 さて、ババアの反応や如何に・・・ つづく。         多分、これが最初の特定の中国人との闘いだったと思います… 扉ページ←「ホーム」をクリック!で【今日の 小日記 (何それ、と言わないで^^;)】やってます。 私の日常の小ネタをチョコチョコ載せてます。そちらも是非!

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