2008/07/07(月)10:30
【壱】心の恩人
また昔話で恐縮なんですが・・・
以前、上海留学中に日本語教師をしていた事を書きましたが
その時にお世話になった方の話を書きたくなりました。
名前を苗(びょう)さんと言います。
日本語教室の生徒の一人でした。
いつもニコニコして 「しぇ、しぇんしぇえ!(せ、先生!)」
と話しかけてくれました。
この人がいたから、対中で嫌な事があっても、
「もうやめたい」と思っても、思い直す心の拠り所になっています。
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95年2月から、安福路にある黎明中学校で夜間
月曜日と木曜日の週二回、1回2時間半の授業でした。
文法は皆、ある程度下地があったので
主に会話練習を行っていました。
常連の生徒は約20名。
身分は様々。
日本語学科の学生だったり、日本に関連する仕事をしていたり
将来日本に留学しようと考えていたり、趣味で日本語を勉強していたり。
皆さん積極的でした。
出来るだけ前の席に座って、「先生」「先生」と皆が私に話しかけてきて
日本人と生の会話ができるのが嬉しくてたまらない、と言った風でした。
苗さんは20名の中では一番年上でしたが、一番熱心でした。
席は常に一番前の真ん中。
いつも腰が低く・・・というか低すぎる姿勢で私に話しかけていました。
見ようによっては『お控えなすって!』(笑)
いつも 「しぇ、しぇんしぇえ!」 と慌てたように話すのが印象的でした。
仕事は印刷工場の工場長で、日本とは特に関係がなく
「日本語を勉強するのは私の趣味です」と言っていました。
苗さんのリクエストで、よく歌を歌わされました^^;
「四季の歌」「北国の春」「さくら」
日本語教室というよりは「文化交流会」のようでした。
雰囲気は和気藹々そのものでした。
授業が終わると、女性は私と腕を組み、男性はその周りを取り巻くように歩き。
皆で私をバス停まで送りながら色々世間話をしました(給料いくら?とか)。
そしてバス停でバスが到着するのを待ち。
バスが来ると私は乗り込み、生徒達と手を振り合って笑顔で別れる。
しかし。
彼らの姿が見えなくなると、
私の表情は、たちまち素に戻っていました。
本当は
精神的に、かなり参っていました。
生徒達と笑顔で接していながらも、心の中は空虚でした。
つづく。
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こんな時期も、ありました。
疲れていた理由は・・・。当時の背景も、できるだけ書こうかと思います。
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