CHINA QUEST*中国にはまったOL⇒女性社長の人生修行

2008/07/07(月)10:30

【壱】心の恩人

上海留学時代(44)

また昔話で恐縮なんですが・・・ 以前、上海留学中に日本語教師をしていた事を書きましたが その時にお世話になった方の話を書きたくなりました。 名前を苗(びょう)さんと言います。 日本語教室の生徒の一人でした。 いつもニコニコして 「しぇ、しぇんしぇえ!(せ、先生!)」 と話しかけてくれました。 この人がいたから、対中で嫌な事があっても、 「もうやめたい」と思っても、思い直す心の拠り所になっています。 * * * * * * * * * * * * * * * * * 95年2月から、安福路にある黎明中学校で夜間 月曜日と木曜日の週二回、1回2時間半の授業でした。 文法は皆、ある程度下地があったので 主に会話練習を行っていました。 常連の生徒は約20名。 身分は様々。 日本語学科の学生だったり、日本に関連する仕事をしていたり 将来日本に留学しようと考えていたり、趣味で日本語を勉強していたり。 皆さん積極的でした。 出来るだけ前の席に座って、「先生」「先生」と皆が私に話しかけてきて 日本人と生の会話ができるのが嬉しくてたまらない、と言った風でした。 苗さんは20名の中では一番年上でしたが、一番熱心でした。 席は常に一番前の真ん中。 いつも腰が低く・・・というか低すぎる姿勢で私に話しかけていました。 見ようによっては『お控えなすって!』(笑) いつも 「しぇ、しぇんしぇえ!」 と慌てたように話すのが印象的でした。 仕事は印刷工場の工場長で、日本とは特に関係がなく 「日本語を勉強するのは私の趣味です」と言っていました。 苗さんのリクエストで、よく歌を歌わされました^^; 「四季の歌」「北国の春」「さくら」 日本語教室というよりは「文化交流会」のようでした。 雰囲気は和気藹々そのものでした。 授業が終わると、女性は私と腕を組み、男性はその周りを取り巻くように歩き。 皆で私をバス停まで送りながら色々世間話をしました(給料いくら?とか)。 そしてバス停でバスが到着するのを待ち。 バスが来ると私は乗り込み、生徒達と手を振り合って笑顔で別れる。 しかし。 彼らの姿が見えなくなると、 私の表情は、たちまち素に戻っていました。 本当は 精神的に、かなり参っていました。 生徒達と笑顔で接していながらも、心の中は空虚でした。 つづく。         ↑ よろしければ是非、一回押してやってください。。 こんな時期も、ありました。 疲れていた理由は・・・。当時の背景も、できるだけ書こうかと思います。 扉ページ←「ホーム」をクリック!で【今日の 小日記 (何それ、と言わないで^^;)】やってます。 私の日常の小ネタをチョコチョコ載せてます。そちらも是非!

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