CHINA QUEST*中国にはまったOL⇒女性社長の人生修行

2008/07/09(水)02:35

【弐】心の恩人

上海留学時代(44)

私が当時感じた上海: 外灘のアールデコ様式の建築物を代表に その他、街中に見られる西洋風建築。 租界という徹底した西洋文化の残り香に うっとりするような優雅さを感じ。 一方では豫園商場に見られるように 庶民の活気がダイレクトに伝わってきて。 中国扇子や硯、水墨画に中国文化を味わう事が出来る。 そして、ふと振り返った夕刻の裏通り。 確かにどこかで見た事があるような どこで見たのか思い出せないような。 まるでタイムスリップしたような懐かしい感覚。 西洋文化と東洋文化、中国文化が混在し そして融合している街。 上 海 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * これらが外から見る表玄関だとすると 生活して見えてくるのは、 タイムスリップしたような異文化ワールド。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * バスはボロボロの2連結で、木の椅子。 0.5元で大抵の所はいける。 空調車も出来たんだって。 でも1元。 どうする? う~ん・・・(考) でも朝晩の通勤ラッシュ時は要注意、 人が多くて乗れたもんじゃない。 切符の買い方? バスの中に切符切りのオバチャンやオジサンがいて 行き先を告げてお金を渡して切符を買う。 オバチャンが遠くても大丈夫。 みんながお金をオバチャンの所にリレーして 切符もリレーして返してくれるから。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 旅行中も思ったけどさ。 ぶつかっても足踏んでも、やっぱり皆、謝らないね?(小声) 「対不起(すみません)」って教科書に書いてたけど 中国人から聞いた事、一回もないよ。 ・・・死語なの?(汗) (今は当時に比べると、割りと聞きます) * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 市場では野菜や肉を量り売り。 魚泳いでるし、鶏は生きてるしで(汗) どうしよう。 自分で捌(さば)くって無理!(大汗) 先に選んでおくと 他のもの買い物している間に 捌(さば)いておいてくれるらしい。 なるほど・・・ ビニール袋は、なかなかくれないから リュックサックや買い物袋もって行こう。 近所にスーパーも、あるにはあるけど、 コンビニに毛が生えた程度で。 生鮮食品を買うような所じゃない。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 夜になったら、出店があった。 ・・・出店? へぇ~、何でも売ってるのね? 夜だから夜市ってところかな。 オモチャ、カセットテープ、古本、 バケツ、洗濯ばさみ 服から枕カバーから何でも… でもモノは安かろう悪かろうだね。 絶対、長持ちするようなもんじゃない。 買うなら、イチかバチか。 買っちゃう?安いし。(笑) 中古TVも売ってるの!? 白黒で150元。(1,650円) カラーで400元。(4,400円) 高くない? ああ、ネゴ代入ってるよね。 でも・・・ 持って帰った途端に、潰れるかもしれんなぁ~(汗) ねえねえ。 時々、公安が来たら、皆すごい勢いで店畳んで 逃げて行くけど・・・ 出店って違反なの?(汗) * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 夏は暑い! クーラーなんて庶民は持っていなかった。 扇風機だって持ってる人少なかった。 夏の夜は、家の前に折りたたみベッドを出して 皆で外に寝る。 留学生はかろうじて扇風機。 いい部屋だとクーラーはついている。 でも、部屋代にそんな出したくないしね。 扇風機で我慢しよう。 だから夏は皆、寝不足。 だる~い顔してる。 暑い時には、冷えたビールを飲みたい。 でも冷やしてない。 どこも、ぬるビールしか置いていない。 「ビンダ、ビンダ!(冷たいの、冷たいの!)」 何度か要求すると、そのウチ 冷やしておいてくれるようになった。 停電はしょっちゅう。 近くの商店の電気も全部アウト。 アイスを買いに行くと 溶けて形が崩れたアイスキャンディーしかない。。(><; ご飯は美味しかったな。 量が多くて安くて。 でも4~5人で食べないと、 色んなの食べられないよ。 定食は、留学生寮の近くの韓国飯屋ではやってたけど 日本食屋では、やってなかったな。 天津飯、カツ丼、親子丼、あたりは 留学生が教えたけどね。 お米は、石ご飯。 御飯(米)に小石が混じってるから、そう呼んでいました。 ガリッと噛んで、歯が欠けた友達がいるから 要注意! * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 冬は寒~い! 底冷えする。 何枚靴下履いても寒い。 だから中国人はパッチは必需品。2枚や3枚当たり前。 彼らの家の中にも暖房なんてなかったな。 中国人の家に遊びに行っても、みんなダウンジャケット 着たまま食事して、家が狭いからベッドをソファー代わりにして おしゃべり。 熱いお茶を飲みながら、暖を取る。 留学生はみんな、自分で電気ストーブ買って 部屋に帰るなり、つけっぱなしだった。 でないと耐えられない、無理無理! 教室も寒かった。 暖気も1月か2月でないと、入れてくれないし。 風邪で出席率が悪いから、 学校が留学生用にハロゲンヒーター買ってくれたけど あんなん1個で、広い教室が暖まるワケがない(笑) 仕方ないね。みんな重ね着しよう。 ハロゲンヒーターは老師に使ってもらおう! 留学生はセーター何枚も着て、 ダウンジャケット着て授業に出よう。 でもパッチは無理!(汗) 本科の美術部は大変らしい。 寒くて手が震えて絵を描けないから。 仕方ないから ジョギングするんだって。 走って体を温めれば、手の震えは止まるからって。 すごいね・・・ * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 街の様子は 94年の10月、国慶節の季節に 上海初の高架道路(内環線)が出来た。 老師はとっても興奮してるけど・・・ でも、今初めて高架道路?? それで大喜びって、どうなってんの? しかも高架の柱が細いよ?? 地震来たらどうするの? ああ、考えてないのね。。 次は外環線だって。 取り敢えず、先ず道路って事ね。 交通渋滞はハンパじゃないもの。 自家用車は全然走ってなくて、 TAXIが殆ど、後はバスとトロリーと、社用車か役所の車だけなのに。 ラッシュ時の幹線道路は、30分動かないのは当たり前だったから。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 浦東が開発されるんだって! ・・・あんな僻地を?何もないじゃない? もうTV塔、作ってるよね。 東方明珠って言うんだって。 上海で一番高いタワーだってよ。 う~ん、高いんだろうけど…  あの先っちょで高さ稼いでない?(~~) * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * ヤオハンも出来るんだって! ヤオハンが!? 日本食材、売ってるのかな? こないだWelcome(外国食材スーパー)行ったけど 沢庵1本45元(約500円)よ、ふざけてるよね? ヤオハンだったら日本食材も期待できるぞ~♪ ・・・行った? 行った。 どうだった? ・・・人民すごいわ! ものすごい人が来てたよ! ・・・見学に! しかもパジャマ多数!(笑)(←何故かパジャマでスーパー行く人が多い) 一階に車、置いてたよ。 やたらでかかったけど、日本食材は大した事ないわ。 また遠いわ、あれ(疲) 行くだけで疲れるよ。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 私が最初に覚えた上海の建物は、4~5ツ星ホテル。 トイレの為。 外出先で普通に使えるトイレはホテルくらいしかなかった。 また中国人客が殆どいない、静かな空間だったから。 トイレのカギがやや甘かったけど、 かかりはする。 ドアも壊れていないし、総じて合格。 用を足すと掃除のオバチャンが水道の蛇口ひねってくれて 手拭き用のタオルを差し出す。 これは和平飯店だったか、ヒルトンだったか ポートマンだったか・・・ 忘れたけど、とにかく「トイレはホテル」だった。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 最初の数ヶ月間は、見るもの全てが新鮮で楽しかった。 今みたいにネットもないから、目に見えるものが事実。 ガイドブックにない事が次から次へと出てきて面白かった。 日本人留学生は沢山いたので 瞬く間にグループが沢山できて、3ヶ月で自然とメンバーチェンジが起こり そして落ち着いた。 バイトがらみで日本人の駐在さんとも知り合いになって 交流に忙しかった。 でも・・・ 中国人と全然交流できていない。 留学生は寮に隔離されているし、 普段は先生以外、中国人に接触する機会が少ない。 また日本人が多くて、そっちの人間関係が大変。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 当時の日本人留学生の身分は、様々。 ■ 大学受験に落ちて、取り敢えず親に留学させられた 高卒直後の男の子。(←結構多かった) ■ 高校卒業して、留学に来た女の子。 ■ 大学の交換留学生。 ■ 仕事を辞めてブラッシュアップの為に来た社会人留学生。 ■ 企業が中国駐在を前提で留学させる企業派遣。 多分200人は日本人がいたと思う。 人数が多いもんだから留学生の中でも日本人社会はできる。 誰がどうした、彼がこうした… 誕生会やらお別れ会、歓迎会。 韓国人はもっと多かった。 でもあっちは年長者がビシッと仕切って組織になっていた。 月に1回、「アリラン」レストランに集まって 何か会議をしていたらしい。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * こんな調子だったから 中国人と接触するのって TAXIの運転手さんや食事や買い物行った時くらい? 通りすがりすぎて、深い交流はちょっと… と言うか、交流しなくても 日本人社会の中で生活できるようになっている。 多層社会、と言うのか。 複数の交じり合わない社会があって、 それが重なっている。 ちょっと違う気がするけど、階級社会と言った方が 分かりやすいのかな? つづく。         ↑ よろしければ是非、一回押してやってください。。 字数が多すぎて、結論書けなかった。次回に続きます。(汗) 扉ページ←「ホーム」をクリック!で【今日の 小日記 (何それ、と言わないで^^;)】やってます。 私の日常の小ネタをチョコチョコ載せてます。そちらも是非!

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る