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カテゴリ:子ども
職場の近所に自転車博物館とか、自転車の載り方を教えてくれる小さな施設がある。
特にこの「乗り方を教えてくれる」ところでは、日々様々なドラマが広がっていると思われる。 「誰でも一日で乗れるようになれます」 と自信満々に書かれた看板。 ヘルメットと膝あてを装着し、おぼつかないペダルさばきで、ヨロヨロと自転車にまたがる子ども達。 そして後ろから 「そうや! もっと思い切ってこがんと!!」 などと激を飛ばすおじいさんたち。(先生と思しき人は、皆シルバー人材派遣あたりから来ている、現役を退いた超ベテラン軍団である) まぁ、子どもたちのことだから、控え小屋みたいなところで、冷やひやしながら(それでも手にはカメラやビデオを握りしめている)見守っている、両親をよそに、めきめきその腕を上達させていくわけだが…。 じつは私、小1の夏休みに2週間くらい特訓しました。 …自転車…。 母と毎日近所の公園に行き、涙ながらに足に擦り傷を作っていたことを、彼らの姿を見るにつけ思い出します。 「後ろを持っているから」 という言葉に何度もだまされ、そのたびに母に対する不信感を募らせながら、そして転んで自転車がふくらはぎ辺りに乗っかるたびに 「罠、ワナ~~~!!」 と、後にアンセ名言語録に認定される言葉を、大声で叫びながら、それでも街にツーリングに出かけられるまでは成長した。 後半になると、母と自転車で連れ立って、遠くに出かけることが楽しくて、「自転車、がんばってよかった」と子どもながらに、努力の報いを実感したものだ。 しかし、ここでいつも、さらに辛い事実を思い出す。 私には、こんなにはっきりした「自転車乗り」へ特訓の記憶があるのに、弟と妹に関する、それらがない。 そう、彼らは「いつのまにか」乗れるようになっていたのだ。 はっきりした「特訓」の実績もないまま、日々適当に遊んでいるうちに、「自転車2輪こぎ」の技術をマスターしていたのである。 小1の夏休みの私っていったい…。 自らのどんくささを、痛感せざるをえない、揺るがしがたい事実である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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