2008/10/27(月)02:04
がんばらないといけないの?
自分が言葉に執着したり、自分の気持ちを大事にしたり
主張をすることをよしとするのは、それをしてこれなかった環境にあったからかもしれない。
全くできなかったわけではないが、物分りのいい子供だった。
わがままをいうことなんて、できないと思っていた。
親に乱暴するなんて反抗的なこともできなかった、心優しい子だった。
なんて言うとみんな、笑う。
私は好きなことをして、気ままに生きているようにみえるようだ。
たしかにそういう部分がないわけではないけれど、それ以上に周りの顔色をうかがってきた。
だからいまだに、そんな自分がいるし、ほっとくと飲み込んでしまう。
自分の気持ちを抑える、自分のわがままをいうことが基本にない。
周りのほうがわがままだったから。私の順番はこなかった。
だから、ついついいいよって、考えもなく言ってしまうことがある。
気をつけないと。
そしていい子のふりをしてしまう。ものわかりのいい子。
本当は違うのに。
だだをこねるのをみっともないと思っている自分がいる。
手に入らないことを、わがままが通らない、思うようにならないと思い込んでいるから、それが普通だよとあきらめている。最初から。
そんな自分が時々出てくる。
がんばらないようにしているけど、がんばっている。
がんばっているのがあたりまえだから。
がんばらないと、がんばって気持ちを引き立てないと生きていられなかった。
そんな癖がある。
がんばらないほうがいい。疲れるから。
がんばらなくても、手に入ればいい。
軽く、楽に、力をいれずに。
がんばることに意義があると教わった。
結果が手に入らなくてもがんばればいい。
って学校の先生たちはいっていたような気がする。
でも、それって、本当かな。
先生の都合だったんじゃないかな。
結果が皆に手に入る教え方したら、成績表つけられないものね。
足が遅い子が、あきらめて歩いているとこをみたことがある。
「誰かが、ああいう子いたよね、自分たちのときでも。」なんていう。
がんばっても無駄。そんな感じで歩いている。
実際がんばっても、その時点では無理。誰ががんばれっていえるんだろう。
がんばれば、がんばれば・・・。
がんばらなくても、足が速い子はいる。
がんばらなくても、絵がうまい子がいる。
がんばらなくても、勉強ができる子がいる。
じゃ、がんばらなくても、いい線いけるものを見つけることの方が大事かもしれない。
エジソンが
「天才は1%のひらめきと99%の汗(努力)だ」
というのがあるが、努力を称えたものではなくて1%のひらめきこそが大事だということを言いたかった。
という話を何かの本で読んだことがある。
ただこの1%のひらめきを手に入れるのには、99%努力も必要なようだが。(^^:)
なにがいいたいかというと、1%の自分の方向性というひらめきを手に入れるために行動は必要だけれども、やみくもにあれこれやればいいというものでないということ。
そしてそれまでに、がんばって、がんばってとやっていると、本当に精魂尽くすときに燃え尽きてしまっている。
力を入れすぎると、どこかでひずみがきてしまう。
だから、足が遅かったら他で能力を発揮をすればいい。
ま、がんばらないでやりたくなることをやるようにすればいいんだと思う。
だだ、ぐだぐだと考えていて、そこに留まっても発展性はないから、あれこれ試してみることがおすすめです。
そのなかに、なにもしないという行動も含まれています。