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テーマ:心のままに独り言(8817)
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こんにちわ。ミキです。
パタパタしている間に、お正月休みを迎えて今日に至りました。 改めまして、あけましておめでとうございます。 昨年中はたくさんいろんな方に助けていただいて、本当に無事に過ごせたことを 心から感謝しています。ありがとうございます! 今年も、どうぞよろしくお願いします(^-^) 昨年は最後にみんなで泊りで忘年会をして、昨日はチーム三人で新年会。 その間、いろいろと気がついたことがあったり、気づかせてもらうことがあったりと 濃い時間を過ごさせていただきました。 個人的には、大晦日から実家に帰っていて、昨日帰宅しました。 年始の挨拶に行った母方の祖母宅で、従姉妹の子達と遊んでいても、 モーニングに(中部地方の人は分かると思う(笑))お雑煮を食べた後に 行った喫茶店でも、「今を生きる」ことを気づかせてもらいました。 また近いうちに書きたいと思います(って書きつつ、最近そう書いたことはいまだに 書けてないなぁとちょっと反省(自爆)) 大晦日の京都新聞の一面にあったコラム(?)がものすごく素敵で暖かい気持ちになったので、 今年一番最初の日記で紹介させていただきますね。 新しい年を迎えるにあたって、命のことを考えるきっかけとなりました。 飯田史彦さんの本や講演で知っていましたが、こういうことをお坊さんが 話してくださるのって、意外と新鮮で、そして本当はアタリマエで、 とてもありがたいなぁと思ったのでした。 「母親は子どものふるさと」→ http://www.kyoto-np.co.jp/info/sofia/ ちょっと長いのですが、こちらにもそのまま転載させていただきますね。 (京都新聞のサイトでいつまで見れるのか、分からないので) 小林隆彰氏 母親は子どものふるさと ここ一カ月ほどの間に、二つの命(いのち)にかかわる話が飛び込んできた。その一つ、旧知の婦人からの電話である。 お念仏講に来る若いお母さんが、「私には五歳の男の子がいます。その子が最近変なことを言うのです。『僕、お母さんのお腹(なか)に入れてもらうとき、このお母さんの子になりたいと思って入ったんだ。お母さんのお腹、とても温かくて気持ちよかった。僕、お母さん大好き』と言って抱きつくのです。それ以来、私はこの子が今まで以上に可愛(かわい)くていとしいのです。この子に選んでもらったことが嬉(うれ)しいのです」。 これ本当でしょうか、と私に問うてくる。そこで私は、生まれる時の苦しみで前世(ぜんせ)を忘れ、死ぬ時の辛(つら)さでこの世のことを忘れる。これを生忘(しょうもう)、死忘(しもう)というと子供のころお寺のお説教で聞いたことがある。親子の縁ほど不思議なものはない。きっと本当のことでしょう、と答えて納得してもらった。 そしてその数日後、元気溌剌(はつらつ)のご婦人が比叡山へ来られた。お母さん教育に打ち込んでおられる人だ。話題が親子の縁にうつり、先述のお母さんのことをしゃべってしまった。するとこのご婦人、急に勢いを得て、アメリカ在住の娘さんから今年の母の日に泣けるほど嬉しい手紙をもらったという。早速ファクスで送ってもらったのが、次の話である。了解を得たので本文を紹介させていただく。 十月十日(とつきとおか)の恩 十月十日の間、私の宇宙は母の子宮だった。それは何より心地よい温かさで、その中で私はプカプカとなるがままに浮いていました。まだ笑うことも知らず、泣くことも知らず、開かないまぶたの中で目玉をぐるぐる回しているだけの小さな命でした。生まれた部屋は外からも光が映るオレンジ色のカプセル。それはまるで夕焼け空のような壮観な眺めで、私はその雲に抱かれ窮屈さというものは全くなかった。時に大きく揺れて頭を打つけど、ちっとも痛くなくてゴムまりのように弾んでいました。電車に乗っているようにゆっさゆっさ揺れたのはお母さんが急いで小走りで夕飯のお買い物に行くときだったのかな、遠くに「カズコさーん」という呼び声が聞こえると「ハーイ」と大声がカプセルに響きわたり、まるでお寺の鐘の中にいるみたいに耳がわぁん、わぁんしましたよ。 お母さんが眠りについて静かになると私はつまらなくて手足を伸ばしたり、足をけったりするけどお母さんはちっとも気付いてくれず悠々と眠ってしまった。そんな小さな命の安堵(あんど)感とあなたの温かい優しさを今も覚えています。 ああ、娑婆(しゃば)へ出て五十五年、自らの力で息を吸っています。この喜びも悲しみも楽しみもみんな命あっての物種です。私のさがしている遠いふる里はお母さんの体の中に。やさしいふる里をありがとう。命を大切に育ててくれてありがとう。 二〇〇六年 母の日 昨今、親殺し子殺しのニュースがかけめぐっている。しかし、ほとんどの日本人は親思い、子思いだ。 来年は親子の縁をよろこぶ年でありますように。命が大切にされる年であるように祈りたい。 (延暦寺長臈) [京都新聞 2006年12月31日掲載] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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