過疎の町
悲しげな顔の母の見送りを受けて今日帰ります。久しぶりに駅まで歩きました。山道を通り抜け約50分です。高校生の頃は駅まで歩いて列車で通学していました。当時、小学生もこの山道を越えて、ここまで通学していたんですからね。(山道ですから自転車なんかを使えばなおさら大変です)わが母校は明治6年(1873)の創立で133年の歴史をもちます。県内でも有数の伝統校です。創立時は154人、一番多いときは856人でした。私のときは中学校も隣接し、ここで9年間を過ごしました。今年度の生徒数は76人、6年後には34人に半減するとのことです。(川向の山梨県からも現在13名来ていますが、6年後には0人に)廃校が取りざたされています。さびしいことです。我が家の南端はママ(崖)です。川に隣接しています。少しずつ崩れて川原になりました。最近になってやっと石崖が出来ました。大きな岩は石灰岩の岩です。子供の頃はよく登りました。左に見えるのが小学校です。この小学校の裏が我が家です。血が原(下に風林火山の古戦場の碑)を登りきって薄暗い林を抜け駅まで歩きます。